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[オピニオン]崔志万の道、朴仁妃の道

Posted August. 01, 2020 08:50,   

Updated August. 01, 2020 08:50

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小学校4年生のとき野球選手になった少年は、1年後に冒険を試みる。右手で投げて右打席で打撃をする右投げ右打ちから、右手で投げて左打席で打つ右投げ左打ちに転向した。「バットを振る時は左手を使った方が成功するといって変えてましたね」。少年の母が伝えた話だ。メジャーリーグ、タンパベイ・レイズの崔志万(チェ・ジマン=29)だ。

左打ち打者は打撃後に一塁まで走る距離が1メートルほど短く、右投投手が投げるボールをより長く見ることができ、右打ちより有利だ。左利きは世界人口の10%ほど。メジャーリーグで左利き打者は40%近くを占め、左投手(28%)より割合が高い。米プロバスケットボール(NBA)の左利き選手とアメリカンフットボールリーグ(NFL)の左利きクォーターバックは、いずれも7%程度。野球では左利きが他スポーツより多いのだ。野球のスタープレイヤーを夢見た子供も、このことを知っていた。

崔志万がメジャーリーグで生き延びているのをみると、子供の時の選択が功を奏しているのかもしれない。それでも彼は、また新たな壁にぶつかった。左投手に弱点を露呈した。昨季に右投手には打率.274(393打席)17本塁打57打点を記録したが、左投手相手には打率.210(94打席)、2本塁打、6打点とうなだれた。プラトーンシステム(同じポジションに二人の選手を交互に起用すること)に縛られ、左投手を迎える日にはベンチ待機を余儀なくされた。

半分の選手扱いに、崔志万は先日、トロント・ブルージェイズ戦で左投手投手を迎えて普段とは違い、右打席に入って本塁打を放った。メジャー5年目の崔志万が右打席で放った初本塁打だ。前日までのメジャー通算860打席では全て左打ち打者としてプレーしていた彼だ。

たまたまの、幸運の一発だったのかもしれない。だが、崔志万は新型コロナウィルス感染症の影響で開幕が遅れる間、スイッチヒッターの可能性を探った。全天候型で出場できるよう転身を図ったのだ。

崔志万は18歳になった2009年にシアトル・マリノーズに加入し、その後、ボルティモア・オリオールズ、ロサンゼルス・エンゼルス、ニューヨーク・ヤンキース、ミルウォーキー・ブルワーズを経た。チームを転々としながらも諦めなかった。「自分を欲するチームがいることは、自分を認めているこをを意味する」と前向きな気持ちで耐えた。「つらい日常の中でも、必ず成功したいという熱意と自己管理が並はずれていた。いつも新しい試みを厭わなかった」。崔志万を長く見守って来た許亀淵(ホ・グヨン)解説委員の話した。

パク・セリが活躍していた時、彼女の影響でゴルフに夢中になった10代が大量に排出された。それぞれの体形があるのに、パク・セリそっくりのスイングが流行った。数年前に来韓したタイガー・ウッズが、国内のジュニアゴルファーを対象に行ったレッスンイベントで、「もはや教えるべきものはない」と話していたことを思い出す。定型化した子供たちのスイングに、言ってあげるべき言葉がなかったのかもしれない。

数多くのセリ・キッズの中でも朴仁妃(パク・インビ)は違った。もともと手首が弱く、長時間の練習ができない状況だった。そこで、コッキング(手首を折る動作)をしない独特なスイングと、自分だけのリズムを持つようになった。変わっていると言われながらも、自分の道を歩んだ。人一倍の集中力と精巧なパッティングを武器に「ゴルフ女帝」になった。

朴智星(パク・チソン)は小柄なうえ偏平足という弱点を抱えていたが、疲れを知らない体力に加え、両足を使いながら世界的なスタープレイヤーになった。その彼も、自伝で「強いチームになるためには、両足を使うマルチプレイヤーだけでなく、片足をうまく使うスペシャリストも必要だ」と書いた。子供の時から、あれもこれも少しずつできるタイプを教え込み、確実なテクニシャンがいなくなった韓国サッカーのもどかしい現実を指摘したものだ。


金鍾錫 kjs0123@donga.com