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ベートーベン交響曲第5番「運命」に「フランス革命」の精神が?

ベートーベン交響曲第5番「運命」に「フランス革命」の精神が?

Posted June. 30, 2020 08:35,   

Updated June. 30, 2020 08:35

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ベートーベンの交響曲第5番は、今年で生誕250周年を迎えるベートーベンの交響曲の中で代表的な作品です。交響曲のすべての歴史においても記念碑のような作品です。

この曲の第1楽章は、三音符が次々と出てくる強烈な動機で始まります。

偶然ですが、モールス符号では、この動機のように三度短く、一度長く押せば、アルファベット「V」を意味します。ローマ数字では「5」であり、「勝利」を表す「Victory」の頭文字でもあります。

この曲は、しばしば「運命交響曲」として知られています。ベートーベンの秘書を自任していたアントン・シンドラーが、ベートーベンの死後に、「ベートーベン先生は私の目の前で楽譜を指しながら、『このように運命は扉を叩く』と言われました」と伝えたことによるものです。しかし、シンドラーは、ベートーベンについて複数の物語をねつ造し、ベートーベンが他人と筆談をするために使った対話録まで偽造したことが明らかになって、彼の言葉は概して信用しない雰囲気です。

大指揮者・トスカニーニは、「ベートーベン交響曲の第5番は、運命でも何でもなく、楽譜に書かれたとおり『アレグロ・コンブリオ』、すなわち『活力あるアレグロ』に過ぎない」と言いました。それなら、三音が並んで出てくるこの動機に特別な意味はないでしょうか?

「運命」以外の意味が、この動機に含まれているという人がいます。英国の指揮者であり、音楽学者であるジョン・エリオット・ガーディナーがその人です。彼は、交響曲第5番の第1楽章は、当時のフランス革命派の歌から来たと言います。フランス革命期の作曲家・ルイジ・ケルビーニの「パンテオン賛歌」にこの歌が入っています。早い三音動機をやり取りすることが、ベートーベン交響曲第5番第1楽章と非常に似ているように聞こえます。

ベートーベン交響曲第5番と同じ年に出てきたフランス人の交響曲も注目に値します。ベートーベンより七歳年上だったエティエンヌ・メユール(1763~1817)の交響曲第1番第4楽章です。この曲も、三音符の動機が複数のパートと交互にやり取りするように登場します。

メユールとケルビーニは、いわゆる「救出オペラ」の代表でした。彼らとベートーベンの活動時期は、フランス革命が起こって間もない時でした。当時、フランスで流行したオペラの形態が救出オペラです。主人公は高貴な思想を持つ革命派の人物です。彼は濡れ衣を着せられて刑務所に閉じ込められていましたが、献身的な周辺の人々の助けを借りて脱出します。ベートーベンが書いたただ一つのオペラ「フィデリオ」も、この救出オペラの典型に従っています。

ベートーベンは、ドイツでも、オランダやフランスと近いライン流域のボンで生まれました。フランスの啓蒙主義と革命精神の風が直接伝えられたところでした。自由・平等・博愛のイデオロギーは、ベートーベンの心を粗く捕らえました。彼はいつも貴族の後援を受けていましたが、アーティストという存在は貴族よりも優れた人類の精神的師匠だと思いました。ナポレオンが皇帝につく前は、王政を転覆したフランスに好意を示し、後で英雄交響曲と呼ばれるようになる交響曲第3番を「ボナパルト交響曲」としてナポレオンに献呈しようとしました。以後、ナポレオンが皇帝になって近隣諸国を侵略すると、彼に背を向けましたが、自由、平等、博愛の理念には背を向けていません。

ベートーベンを取り巻く環境は「運命」でしたが、彼はこのような運命の腕をねじって克服するという超人的な意志で人生を乗り越えていきました。このような彼の人生は、生来の気質や、難聴に勝ち抜いて作曲家として成功した個人的忍苦の過程だけでなく、彼が生きた激動の時代とも密接な関係があることを覚えておく必要があります。これを理解すれば、彼の交響曲第5番は、「運命」を越えて新たに聞こえるでしょう。

ソウル市立交響楽団は来月3日と4日、ソウルのロッテコンサートホールで開かれる定期公演で、首席客員指揮者・マルクス・シュテンツの指揮でベートーベン交響曲第5番とオペラ「フィデリオ」の序曲として作曲された彼のレオノーレ序曲第3番などを演奏します。


ユ・ユンジョン文化専門記者 gustav@donga.com