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茶山次男の黒山島紀行日記を発見

Posted June. 02, 2020 09:22,   

Updated June. 02, 2020 09:22

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茶山・丁若鏞(チョン・ヤクヨン)の次男である丁學游(チョン・ハクユ)が、流刑中の2番目の伯父・丁若銓(チョン・ヤクジョン)に会うために、全羅南道新安郡黒山島(チョンラナムド・シンアングン・フクサンド)を旅した記録である紀行日記「浮海記」が発見された。チョン・ミン漢陽(ハンヤン)大学国語国文学科教授は、茶山家が保管している本である「遺稿」10冊のうち、8〜10冊に収録された丁學游の文集「雲浦遺稿」で浮海記を確認したと、1日明らかにした。

浮海記には、黒山島に至る旅程、黒山島の風景、住民生活など、丁學游が黒山島を旅した1809年2月3日から3月24日までの52日間の旅が、日記形式で盛り込まれている。丁學游は、兄の丁學淵(チョン・ハクヨン)と一緒に茶山の「周易心箋」を整理して完成し、茶山の学問活動を手助けしたが、現在までに伝わる文章がそれほど無く、彼の文学世界はあまり知られていなかった。浮海記は丁學游の学問、丁若銓の黒山島流刑生活に関する情報を提供して、茶山学の研究に貢献する資料として評価される。

浮海記には、黒山島の旅を鮮やかでダイナミックに描いた詩12本が別に収録されている。黒山島が見える無人島・キョメク島近くでクジラを目撃したシーンは、次のように描いた。

「クジラ5頭が水面出て遊びながら、遠くから遡ってきた。その中の一頭が空に向けて水を吹くが、その様子がまるで白い虹のようで、その高さは百ギル(長さの単位、1ギルは十尺)余りだった。初めて口から水を吹くと、水柱が空の果てまで支えているようだった」

丁學游は、茶山の要請を受けて黒山島に行ったことが知られている。丁若銓の息子である學樵(ハクチョ)が1807年、17歳でこの世を去ると、茶山は絶望に陥った兄のために、1808年春、康津(カンジン)に来た學游を、その翌年、黒山島に送った。浮海記よると、丁學游は1809年2月3日に康津を出発した。以後丁若銓に会ってノロク岩、ソラ窟などの絶景を遊覧して、丁若銓の誕生日パーティーを行った後、康津に戻ってきた。

チョン教授は、茶山と丁若銓の間に交わされた書簡文を翻訳して、今回確認された資料と一緒に本として出版する予定だ。


金哉希 jetti@donga.com