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「美しい」という基準の拡張

Posted September. 26, 2022 08:46,   

Updated September. 26, 2022 08:46

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「ほとんどの人は、精神的外傷を受けるのではないかと恐れながら生きている。ところが奇形人たちは、最初から外傷を持ったまま生まれた。彼らは、人生の試験をパスしたのだ。彼らは高貴な人々だ」(ダイアン・アーバス「禁じられた世界に魅せられた写真家」)

ある日、道を歩いている時、あるお婆の姿を見かけて私はその場に一瞬立ち止まった。彼女は、片手には傘を、もう片手には杖を一本持っていたのだが、幼い頃に小児麻痺を患ったためか、歩くたびに体が左右にかなり揺れていた。普段は杖だけを持って通っていたと思われるが、その日は雨の予報があったため、彼女は傘まで持ち歩いていたのだ。不自由な体を傘と杖に頼って、彼女は地下鉄駅の入り口に向かって、大変だけど、たくましく一歩一歩を歩いた。私はそのお婆さんの後ろ姿をしばらく眺めながら、かつて感じたことのない妙な感動を受けた。

米国の写真家ダイアン・アーバス(1923~1971)の写真には、米国の様々な人々が写っている。障害を持った人、10代の夫婦、裸体主義者の家族、顔にタトゥーを入れたピエロ…。彼が撮った尋常でない人物は、見る人たちを妙に緊張させる。しかし、じっくりと見つめていと、写真の中の人物たちは、それぞれならではの美しさを放っている。人生に対するもう少し根本的な質問も投げかける。「私たちが美しいと感じることの基準が、さらに拡張されなければならないのではないか」「慣れの中で、私が当たり前だと信じていることの実体は果たしてどれほど堅固なのか」。

アーバスの写真の中で出会った人物たちがそうであるように、たまたま道で出会ったお婆さんも、私たちに一度は人生に対する質問をさせる特別な機会を与えているのかもしれない。