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筆禍を招いた詩

Posted August. 19, 2022 09:14,   

Updated August. 19, 2022 09:14

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玄都観、皇室の道教寺の中は桃の花で満開だった。花見を終えた君子らの車が過ぎて土ぼこりが立つと皆声を一つに花がきれいだと言うので、媚びる者の付和雷同のようで気に入らなかった。9年前に詩人が左遷された時はなかった桃の木が、玄都観の庭いっぱいを満たしているとは,この隔世の感はどこに起因するのだろうか。安史の乱後、深刻な混乱にあった中唐の時代、詩人は改革勢力に加担したが失敗し、南蛮の地、朗州(湖南省)に左遷され、9年ぶりに長安に帰還した。朝廷はすべて新興権力が占め、詩人はそれを「玄都観の多くの桃の木」に例えて言った。世の中が一変したという歳月の無常さ、街を闊歩する君子らから感じられる違和感に胸が苦しかったことだろう。

この詩が長安に広まると、詩に願望と怒りが込められたとして罪を問われた。自分たちをでたらめに生じた勢力だと蔑視し、皮肉ったということだ。同年、詩人は再び連州(広東省)に左遷され、14年ぶりに長安に再び復帰した。玄都観を訪れた詩人の感慨がどうだっただろうか。「広い庭の半ばは苔で覆われており、桃の花の木はすっかりなくなり、菜の花が咲いている。桃の木を植えた道士はどこに行ったのだろうか。今日再び私はやって来たが」(「再び玄都觀に遊ぶ」)。これまでを振り返り、詩人は「事必帰正(必ず正しい道理に帰する)」を再確認したかったのかもしれない。