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第2延坪海戦から20年、韓国軍が初めて「勝戦」位置づけ

第2延坪海戦から20年、韓国軍が初めて「勝戦」位置づけ

Posted June. 30, 2022 09:02,   

Updated June. 30, 2022 09:02

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2002年、北朝鮮警備艇の奇襲挑発に対抗して西海(ソヘ・黄海)の北方限界線(NLL)を死守した第2延坪海戦の20周年を迎える「戦勝記念式」が29日、京畿道平沢市(キョンギド・ピョンテクシ)の海軍第2艦隊司令部で開かれた。

韓国軍は同日、第2延坪海戦について「勝利」と正式に位置づけ、ユン・ヨンハ少領、ハン・サングク、チョ・チョンヒョン上士、ファン・ドヒョン、ソ・フウォン中士、パク・ドンヒョク兵長ら戦死者6人と遺族に対して、最後まで責任を負う姿勢を明確にした。韓国軍はこれまで、第2延坪海戦記念式で「勝利」という表現を使わなかった。第2艦隊司令部内の第2延坪海戦戦績碑も補修工事を経て「戦勝碑」に取り換える計画だ。

李鍾燮(イ・ジョンソプ)国防部長官や戦死者遺族、将兵ら参加者らは、20年前に西海NLLを命をかけて守った6人の英雄を称えた。与党「国民の力」の李俊錫(イ・ジュンソク) 代表とシン・インホ国家安保室第2次長も出席した。北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に出席するために出国した尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は花を送った。

遺族たちは献花と焼香を終えた後、記念碑の裏面に浮彫で刻まれた6人の勇士の顔を撫でた。チョ・チョンヒョン上士の母親イム・ホンスンさんは息子の顔のレリーフを両手でしきりに触りながら「お母さんが来たことも知らないのか」と泣き、会場を悲しませた。これを見守っていた李長官も目頭を赤くしながら「忘れません。私たちが永遠に記憶します」とイムさんを慰めた。ソ・フウォン中士の父親ソ・ヨンソク遺族会長は、「もう20年が過ぎたけど、今日はとりわけ懐かしくなる。6人の勇士のたくましい声が聞こえるようだ」とし、「国民の将兵と軍務員の皆さんのおかげで生業に携わることができ、平穏な日常を送っている。皆さんを誇らしく思っている」と息子の後輩たちを激励した。

李長官は記念演説で、6人の勇士の名前を呼び「彼らの崇高な犠牲は、私たちの胸だけでなく大韓民国の歴史に永遠に息づくだろう」とし、「関連法規を改正して追叙・進級された階級に合わせて各種給与と待遇を支援する」と話した。

記念式に続き、遺族と参戦した将兵たちは、6人の勇士の名前を取った誘導弾高速艦に乗って豊島(プンド)付近の海上に到着し、菊の花を海に浮かべて酒を撒く海上献花式も行った。

第2延坪海戦は韓日ワールドカップ大会中だった2002年6月29日、北朝鮮警備艇2隻が西海NLLを侵犯し、韓国海軍のチャムスリ357号高速艇を奇襲攻撃して勃発した。北朝鮮の攻撃で高速艇長のユン少領ら5人が戦死し、パク・ドンヒョク兵長は重傷を負って治療を受けたが、結局死亡した。当時、韓国海軍が直ちに反撃し、北朝鮮軍にも約30人の死傷者が発生し、警備艇は火炎に包まれたまま北朝鮮に逃走した。


尹相虎 ysh1005@donga.com