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また真夏

Posted June. 25, 2022 09:11,   

Updated June. 25, 2022 09:11

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「情緒的詩人は鏡をのぞき、小説家は窓の外を眺める。キム・ジョンギルは、ある美しい詩人を紹介する文にこのように書いた。詩人は自分を鏡にして世界を把握し、小説家は世界を眺めながら自我を探すという言葉と解釈できる。それでは、詩人が鏡ではなく、窓の外を眺める時は何を見るだろうか。答えはこの詩の中にある。

ある老年の詩人が、窓の外を眺めている。真夏の風光を移してくるのに、その表現が素晴らしい。夕立は止んだが、セミの鳴き声は止まなかった。夕立が世の中を濡らして止むと、すぐセミの鳴き声が四方を濡らす。雨とセミは同じではなく、水と音は同じではないと思ったが、詩人は「そういうのは偏見だ」と軽く片付けてしまう。

一時の世界は、夕立にびっしょり濡れていて、次の世界はセミの鳴き声にたっぷり染まっている。その後の世界は、また別の何かでいっぱいになるだろう。優しい自然の原理があって、この世を次々と埋めて消える。その流れを静かに見ている詩人は、「そうだ、君たちがまた訪ねてきたんだ」と微笑んでいるようだ。詩人は、この詩を目で見て耳で聞いて書かなかった。彼は、心で見て、心で聞いて書いた。詩人の窓の外で会う雨と暑さは、必ず来なければならず、再び来たのだ。よく来て、よく行くように。来年また会おうね。

文学評論家