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春の日の悔恨

Posted May. 27, 2022 08:48,   

Updated May. 27, 2022 08:50

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夫の不在にもかかわらず、若い妻は心配しないでのんびりしている。春の日の趣を楽しもうと、身だしなみを整え、楼閣に登る贅沢も享受する。人生の浮き沈みを体感できるほど円熟した年齢でもなく、裕福な環境なので、困難を知らずに過ごしてきた。だから躊躇わずに夫を官職に追い出すことができたはずだ。ところが、何気なく見ていた風景が、今日に限って新しい。次々と明るく咲く道端の柳の光に、つい心が乱れる。満ち潮のように押し寄せる悔恨とともに、おのずと噴き出すため息。ああ、どうして私は、官職を探せと夫を責め立てたのか。「心配など知らなかった」ことから、「夫を送り出したことを後悔する」状況に突き進むようになった理由は何だろうか。心の奥深くに隠された長い間待つことと恨みが、青い柳の衝動にふと目覚めたのだろう。

詩題の「閨怨」は、男から捨てられたり疎外された女の恨みを意味する。このような部類の詩を、閨怨詩と呼び、恨みの主体が女官、あるいは妃嬪など宮廷女性の場合は、別途に宮怨詩という名称を使ったりもした。これらの詩は、珍しく女性本人が書いたりもしたが、詩人が女性の境遇や心情を代弁するように詠んだのが大半だ。時には詩人たちが、自分の政治的疎外感をそのような女性の境遇に例えたこともあり、また机の前の詩人の無病呻吟(病気もないのに、調子が悪いふりをする)ように、無理に絞り出したこともある。李伯や王昌齡など、実際に従軍履歴を経た詩人たちの閨怨詩は、そのためなおさら真剣さが目立つ。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授