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詩人の逸脱

Posted December. 03, 2021 08:36,   

Updated December. 03, 2021 08:36

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何の憂いもなく酒と快楽に耽溺するという告白、それに万古の真理だと信じていた先賢たちの本さえすべて信じることができないという宣言は珍しい。このような常軌を逸した発想がなぜ出たのだろうか。稚気を帯びた逸脱のように見えるが、実際、現実政治に対する失望感を吐露した酷い皮肉さと見える。中原の土地を金に渡し、南の隅に安住していた南宋朝廷の安逸と無能を批判してきた詩人。歓楽に酔った彼らに、国の心配をする余裕などあるはずがないと叱咤する。昔の経典はひょっとして愛国愛族を論じ、あるいは政治の道理を説いたかもしれないが、現実は時には転倒した価値に覆われることもあることを警戒する。松とのいざこざから、自分の覚醒の身振りを現す。酔って倒れたとしても、誰の助けも断固として拒否するという強固な意志と読める。

武将として名声を博しながらも、詩人は「長子」「孟子」「史記」などをよく活用するほど古典に長けていた。「昔の人の本、全的に信じることはできない」という一節は、孟子が「書経の内容をひたすら信じるより、ない方がましだ」という言葉を活用した例だ。記録の真偽をよく見極めろという孟子の元々の趣旨とは関係なく、詩人はその話法だけを引用してきた。「西江月」は曲調名で、内容とは関係ない。