Go to contents

草虫たちの小さな耳を考える

Posted October. 23, 2021 08:31,   

Updated October. 23, 2021 08:31

한국어

イ・テジュンのエッセイ集「無序錄」の中に、「秋の花」という文章がある。「秋の花たちは、かげろうと鳥の音を知らない。冷たい月光と老いた虫の音に咲いて落ちるのが、彼らの悲しみであり名誉である」。この明晰な小説家は、いつも正しいことばかり言った。そして彼の言葉に支えられて、虫の音と冷たい月光と秋の花を楽しむことは、後代を生きる私たちの役目になる。

花だけが虫の音に咲いて落ちるのではない。私たちの心も、虫の音に感応したりする。感応力が優れた詩人たちの場合はなおさらだ。小さな力を持って生まれ、大きな世の中に耐える虫を見て、詩人たちは自分自身を思い浮かべたのかもしれない。

キム・ギテクのこの詩も、虫と深く共鳴する作品だ。詩人は、虫の中でも小さいもの、音が小さいものを思い浮かべる。その音を聞くことはできないが、想像はできる。詩人は、さらに力のない虫たちが、暗いところにぶら下がって生きている姿を思い浮かべる。

この詩は、声の大きい人だけを見る世の中のせいで、私たちが忘れている事実を知らせてくれる。あまり小さいので聞こえない音も聞こえる。堂々と出られない弱々しい心も心だ。我々は、時には聞こえないことを聞く必要がある。