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罰酒ゲーム

Posted September. 15, 2021 08:20,   

Updated September. 15, 2021 08:20

한국어

ある詩人の28回目の誕生日にあったことだ。彼女は、付き合い始めた友人4人とソウルの裏路地のカフェであった公演を見に行き、彼らと共に弟のアパートに戻った。ほろ酔い気分になった時、誰かがゲームをしようと言った。詩人は、「私はしたことがない」罰酒ゲームを提案した。各自順番にしたことがないことを言い、それをしたことがある人が罰酒を飲むというルールだ。最初はおかしな話で始めるが、徐々にストレートで時には性的な話にまで広がるゲームだ。馴染みのないゲームなので、彼女が模範を示そうとしたが、他の人が先手を打った。「私は自殺を考えたことがない」。その人はそう言って、焼酎のグラスを持って一気飲みした。しかし、皆が罰酒を飲まなければならなかった。誰もが自殺を考えたことがあったのだ。面白いと思って始めたゲームが、彼らの心の中に隠された傷と苦しみを一瞬にして暴いてしまった。

韓国系米国人の詩人、キャシー・パーク・ホングがピューリッツァ賞候補作『マイナー・フィーリングス』というエッセイ集の最後に回顧した自身の若い頃の話だ。韓国であったことを話したのは、人生に疲れるのはどこでも同じということを強調するためだ。白人が作った人種的枠に合わせて生きなければならないアジア系米国人、さまよい、苦悩し、絶望して生きていく韓国の若者たち。どこでも確認できる人生の苦しみ。

若者だけのことだろうか。年齢を問わず、誰でも死について1度は考えたことがあるのではないか。生きようとする意思が死のうとする意思に勝ってきわどく生き残っているという人は、もしかすると思ったより多いかもしれない。詩人が文を書くのは、そのような人々を包み込み、また、彼らから包み込まれるためだ。自らも衝動を感じたことがあったから。読者の心が、彼女の個人的な話に揺らぐ理由だ。他人の傷で自身の傷を見ること。傷が互いをつないでいると言えるのではないか。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授