Go to contents

舞い上がった「スマイルボーイ」には、酔いつぶれた弟子を世話した真の師匠がいた

舞い上がった「スマイルボーイ」には、酔いつぶれた弟子を世話した真の師匠がいた

Posted August. 03, 2021 08:18,   

Updated August. 03, 2021 08:18

한국어

「よくやっている選手に敢えて私が必要でしょうか」

24年ぶりに陸上のトラックとフィールドで韓国記録を塗り替えた走り高跳びのウ・サンヒョク(25・国軍体育部隊)の師匠、キム・ドギュン国家代表コーチ(42・写真)が2日、東亜(トンア)日報の電話取材に切り出した第一声だった。キム氏は、「スターになったウ・サンヒョクにはもうもっと有能なコーチが必要。私が邪魔になってはならない」と言い、師弟の縁を締め切る可能性をほのめかした。

あらかじめ人情を断ち切ろうとしているのか。同日、東京五輪選手村で行われた記者会見でも、キム氏はウ・サンヒョクと一緒に座らず、一人で会場の片隅に座っていた。前日、競技場で終始明るい姿を見せたウ・サンヒョクも、この日は少し落ち着いた様子だった。ウ・サンヒョクは「僕はまだ完成形ではない。いま始まったばかりだ」と語った。

振り返ってみると、キム氏の目はいつも運動ができる選手より下手な選手に向けられていた。キム氏は「苦しんでいる選手を見ると、助けたい気持ちが沸く。成果が出なくてもサポートする過程そのものに幸せを感じる」とし、「有名な選手はいくらでもサポートしてもらえる。一人では立てない無名の選手が私は好きだ」と話した。

ウ・サンヒョクを受け入れた理由も同じだった。ウ・サンヒョクは両足の形が違う。★8歳の時、タクシーのタイヤに足を踏まれた事故で、左足より右足が1.5センチ小さい。188センチの身長は走り高跳びの選手としては低い方だ。2019年には左すねの炎症で選手生命の危機に直面した。当時、ウ・サンヒョクは練習をさぼって毎日お酒を飲みながら自暴自棄の生活を送った。キム氏は、「お前はいろんなものを持っているのに、自分だけが気づいていない。お前は世界的な選手になれる」と最後まで諦めなかった。

キム氏は、ウ・サンヒョクと血でつながった家族よりも家族のように過ごしてきた。仁川(インチョン)にある自宅にウ・サンヒョクのための部屋を用意した。トレーニングが終わると一緒に家で過ごした。東京五輪中も例外ではなかった。7坪余りのキム氏のワンルームにウ・サンヒョクと棒高跳び代表選手のチン・ミンソプ(29)のベッドを用意した。毎日同じ部屋で寝泊まりした。

選手への関心は、「適合型」コーチにつながった。キム氏は、「サンヒョクは悪く言うと、子供のように純粋で現実性を欠いた面があるが、そこをよく見ると実際には難しいことも可能だと思い込む性格だと言える」とし「『お前だからできるんだ』と繰り返して自信を持たせたら、幻想を実現してくれた」と話した。

韓国新記録を樹立したウ・サンヒョクは今、走り高跳び選手には「魔の壁」と呼ばれる「50クラブ」加入に向かっている。ウ・サンヒョクは「今は自分の身長より50センチ高い2メートル38センチを超えるのが目標。それを超えてこそ、次の目標を決めることができる」と語った。

ウ・サンヒョクは競技を終えた後、節度ある動作で敬礼をして話題になった。今年3月に入隊し、一等兵の身分にあるウ・サンヒョクは、「気持ちよく、ファイト溢れる感じで(軍に)行けば、僕みたいに何事でも楽しくできるのではないかと思う。僕も随分変わった」と話した。いつも笑みを浮かべているウ・サンヒョクは、「私も数多くの失敗を重ねてここに来た。ただ繰り返される挑戦の中にポジティブさを肯定を示しただけだ」と明らかにした。

ウ・サンヒョクは、しばらくは「高く跳ばない」つもりだ。新記録樹立後、宿舎に帰ってきて最初に食べた料理はこれまで一番食べたかった「プルタクポックンミョン(激辛ラーメン)」だった。「まだ夢のようだ」と言うウ・サンヒョクだが、3年後のパリ五輪で「本当の夢」を叶えるかどうか楽しみだ。


カン・ドンウン記者 東京=キム・ベジュン記者 wanted@donga.com · leper@donga.com