Go to contents

フェンシング「銀」のカン・ヨンミ「世界1位に挑戦する熱情がよみがえった」

フェンシング「銀」のカン・ヨンミ「世界1位に挑戦する熱情がよみがえった」

Posted July. 29, 2021 08:38,   

Updated July. 29, 2021 08:38

한국어

「大変だったんですかと、私に聞いていましたね。『病気になってまで五輪に出なければならないんですか?』と」。フェンシング女子エペ代表のカン・ヨンミ(36)が所属する光州(クァンジュ)西区庁のパク・グァンヒョン監督が、カン・ヨンミの東京五輪銀メダル獲得のニュースを聞いて、28日に口にした言葉だ。

カン・ヨンミは昨年、ハンガリー・ブダペストで開かれた国際フェンシング連盟(FIE)グランプリに参加した後、新型コロナウイルス陽性判定を受けた。五輪出場権を獲得するために参加した海外大会だったが、「国家代表第1号感染者」という烙印を押して非難する雰囲気もあった。

パク監督は、「(カン・ヨンミは帰国するやいなや体調が良くないことを感じ、夫ともそれぞれの部屋を使うなど気を遣った。

そのカン・ヨンミにとって、今回の五輪銀メダルはあまりにも貴重なメダルだった。カン・ヨンミは五輪のために現役引退と出産計画も見送った。「子どもを産んだら、自分がやりたいことを全部できるようにサポートする親になりたかった」とし、「五輪を準備しながら、また情熱がよみがえった。(五輪が)終わってからは(フェンシングが)もっとできると思うようになった」と話した。パク監督は、「カン・ヨンミが東京へ向かう前に、五輪が終わった後もフェンシングを続けたいと話した。世界ランキング2位が最高成績なので、『必ず1位になりたい』と言ってましたね」と話した。

決勝で最終4番手として出場したチェ・インジョン(31・鶏龍市庁)も、「メダルは切実だった。チェ・インジョンの夢は、五輪後に故郷の忠清南道錦山(チュンチョンナムド・クムサン)に戻って、80代のお婆さんの首にメダルをかけてあげることだった。チェ・インジョンは「小学生まで両親が忙しく、祖母の手で育てられた。フェンシング選手になった後は、良い材料を入れた薬を作ったり、紅参汁などを買っていつも送ってくれた」と話した。

チームの求心役を務めるソン・セラ(28・釜山市庁)は、貧しい家庭の中で自分を育ててくれた母親に恩返ししたい気持ちが大きかった。ソン・セラは、「フェンシングは刃物1本で約20万ウォン、刀服70万~80万ウォンの高い装備を必要とするスポーツだ」とし「母が色んな仕事をしてフェンシングに必要なお金から大学授業料まで支援してくれた」と母への感謝の気持ちを表わした。


カン・ドンウン記者 leper@donga.com