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ピカソと孫娘

Posted May. 13, 2021 08:08,   

Updated May. 13, 2021 08:08

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有名芸術家やコレクターの死は、美術市場を騒がせる。作品が大量に市場に出回ることになるからだ。1973年、パブロ・ピカソが遺言なしに死亡すると、孫娘のマリーナは1万点を超える作品を含め、遺産の5分の1を相続した。彼女は遺作を厳然と処分し始めたが、2015年にはオークションに大量に出品した。惨めだった幼い時代を忘れるためだと言いながら。いったい何があって、孫娘は祖父の遺作をすべて処分しようとしたのだろうか。

キュビスムの創始者ピカソは数多くのミューズを抱えていたが、結婚は2度だけだった。最初の妻はロシアのバレリーナ、オルガ・コクローヴァ。マリーナの祖母だ。ピカソはミューズが変わるたびに画風も変えたりしたが、華やかな外見のオルガはキュビスム様式を捨てて古典主義に戻すようにした。結婚した年に描いたこの絵の中には、黒いドレスのオルガが扇子を持って、花柄装飾の肘掛け椅子に座っている。がらんとした背景は、繊細に表現された人物とは対照的だ。確かに未完成だが、ピカソはこれを完成作と思って展示した 3年間の熱い新婚生活を送った後、オルガはパウロを生む。ピカソが40歳で授かった最初の息子であり、マリーナの父親だ。しかし、間もなくピカソは17歳の少女との浮気で家族を捨てた。金持ちだったが、子育ての責任も果たさなかった。オルガの子孫は、貧しく悲惨な生活を送った。うつ病でアルコール依存症に陥っていたパウロは、マリーナが3歳の時に離婚して家族を離れ、マリーナの兄は祖父の葬式への出席を拒否されると、悲観して自殺した。いくら偉大な芸術家ピカソの傑作だとしても、孫娘には不幸な家庭史の証拠品に過ぎない。未練なく整理したかったのだろう。

いつか捨てられる運命に対する悲しい予感のためだろうか。絵の中のオルガの表情は、暗くて憂鬱に見える。祖父と父に捨てられたが、マリーナは養子の3人を含め、5人の子どもを丹念に育て、遺産の相当部分を恵まれていない子供たちを助ける慈善活動に使っている。