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アレクサンドロスの決断

Posted April. 20, 2021 08:18,   

Updated April. 20, 2021 08:18

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アレクサンドロスは、アフガニスタンを経てインドに突き進んだ。勇士であり戦略家としてアレクサンドロスは非の打ちどころのない人物だった。しかし、なぜ休むことなくインドに向かったのかは今もミステリーだ。アレクサンドロスは、パキスタンを越えてインド北部に侵入したが、東海岸まで行くことはできなかった。マケドニア軍の精鋭の中の精鋭であり腹心だった銀楯隊と呼ばれた長槍歩兵隊が進軍を拒否したためだ。この部隊は、父のピリッポス2世が創設した部隊だった。古参兵は50、60代を越えて高齢になったが、依然として戦場では無敵で、アレクサンドロスに対する忠誠心も絶対的だった。

 

そんな彼らがアレクサンドロスの命令を拒否し、初の敗北を抱かせた。彼らが拒否したにもかかわらず進軍を続けたのなら、このうわさが部隊に広まったのなら、他の部隊は反乱を起こしたことだろう。2代に渡って忠誠を捧げてきた部隊まで進撃を拒否する状況なのに、どの部隊が反乱に参加するだろうか。それでも銀楯の長槍歩兵らがアレクサンドロスに対する愛と忠誠を捨てたわけではない。彼らは以前よりもアレクサンドロスを愛し、絶対的な忠誠を捧げた。

 

しかし、アレクサンドロスは彼らを捨てる。形式的には手厚い補償金を与えて退役させた。彼らのための栄誉と褒賞制度も設けた。「これまでご苦労だった。故郷へ戻ってゆっくり老年を送れ」と。銀楯隊員には青天の霹靂だった。彼らは皇帝のそばに残り、親衛部隊として富と権力を享受し続けたかった。アレクサンドロスは冷酷に断り、彼らと断絶する。彼らは依然として強かったが、もはや征服戦争を遂行できる部隊ではなかった。

功と恩恵は忘れないが、集団の利己的目標と妥協することはできない。アレクサンドロスが早く死ななかったなら、この決断の結果をもっと明確に見ることができただろう。アレクサンドロスの決定が正しかったということだけは、歴史が明確に証明してくれた。その後、銀楯隊は堕落し、主君を破滅させた。

歴史学者