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戦争はどのように始まったのか

Posted November. 24, 2020 09:28,   

Updated November. 24, 2020 09:28

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2019年に初めて、米国の南北戦争の決戦の地、ゲティスバーグを訪れた。そこで3つの事実に驚かされた。戦場が思ったよりもとても広かったのだ。その広い草原と丘陵がまるで戦闘直後に冷凍包装されたかのようにそのまま保存された光景にさらに驚いた。3つ目の驚いた点は、「現場の再現」だった。3日間戦闘が繰り広げられた場所、そこに駐留した部隊、すぐそこで起こった事件を一つ一つ見ていると、1日では時間が足りないほどだった。正確な場所に標石が立てられ、博物館には詳細な図面と内容が整理されていた。

現場は生々しいが、南北戦争は理解が難しい戦争だ。奴隷制をめぐる北部と南部の対立が主な原因だとされているが、奴隷制廃止論は純粋な人道主義的な情熱のためだけではなかった。純粋な博愛精神と人道主義、国家主義、地域主義、集団利己主義、個人の経済的利害関係、政党間の争い、産業化をめぐる対立など様々な要素が入り混じっている。

 

奴隷廃止論者は、奴隷制度が究極的には白人と国家全体に害になるということを説得しようとした。リンカーンは、奴隷制は人間の基本権に対する認識を堕落させ、最後には貧しい白人の人権を脅かすと主張した。リンカーンより半世紀前に大統領を務めたマディソンは、奴隷制度が白人の心を堕落させ、黒人と白人家族を破壊し、さらに奴隷制によって荒んだ人間の性格は動物虐待につながると主張した。

奴隷制は、膨大な土地と資源を保有した祝福された新生国の未来に垂れ込めた血の色の雲だった。マディソンは言う。「奴隷制度を破壊して、私たちを不名誉から、私たちの子孫を奴隷でいっぱいの国に必然的に存在する低能から救い出したい」

しかし、マディソンも自分の奴隷を解放することはなかった。政治家たちは、自分と地域の利害のために扇動し、地域対立を煽った。結局、戦争が起こり、米国は血の教訓を得た。しかし、時間が経てば、また忘れる。いや、100年記憶したなら、長く記憶したと言えるだろうか。