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世界初「ティムール歴史」完訳

Posted August. 12, 2020 08:33,   

Updated August. 12, 2020 08:33

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最近、忠清北道清州(チュンチョンプクト・チョンジュ)のイスラム教の行事に参加したウズベキスタン人が新型コロナウイルスに感染した。イ・ジュヨン博士(37)の母親はこのニュースに接し、こう言った。「ウズベキスタンにイスラム教徒がいるの?」。ティムール帝国の始祖、アミール・ティムール(1336~1405)の人生を扱った歴史書『勝利の書(Ẓafar Nāma)』をイスラム圏外の言語では世界で初めて完訳した娘を持つ母親としては「意外」な反応かも知れない。ティムール帝国の始まりはウズベクだった。

私たちは中央アジアをあまり知りません。地政学的に韓国を中心にした地域だけでも世界を知っていると言えるからです。慣れないかもしれませんが、さらなる広い世界のイスラム教の世界も知るべきではないでしょうか」

9日、ソウル鍾路区(チョンロク)にあるカフェで会ったイ氏は、今年2月にソウル大学東洋史学科で論文『ティムール朝の史書、ヤズディー撰「勝利の書(Ẓafar Nāma)」の訳註』で博士学位を取得した。同月引退した中央アジア研究の金浩東(キム・ホドン)教授の教え子だ。論文の分量は1140ページ。普通の博士学位論文の約2倍だ。

「金先生が、国内の研究が多くない分野だが、研究書より翻訳書を出すのがいいとアドバイスして下さいました。史料を通読してこそ勉強がうまくいくスタイルでもあり、史料を翻訳すれば研究することが多いと思いました」

シャラフッディーン・アリー・ヤズディーが1424年にペルシャ語で書いた『勝利の書』は、アミール・ ティムールの一代記だ。ティムールは14世紀末、中央アジアを中心にイラン、アフガニスタンやジョージアなどカフカス山脈一帯および小アジア、北インド、中国西部を征服し、大帝国を築いた。

「征服地域の支配層はテュルク遊牧民、被支配層はイスラム教徒の定住民でした。遊牧民にはモンゴル帝国の後裔の娘を妻にしたことから(モンゴル帝国の)駙馬(キュレゲン)と称して正統性を主張し、被支配層には自身をイスラム教徒に見えるようにして正統性を得ました」

『勝利の書』では、ティムールを「サーヒブ・キラーン」とも呼ぶ。古代ペルシャ文化で生まれた称号で、木星と土星の合一の時に生まれ、世界征服が予定された人物をいう。

『勝利の書』が1722年にフランス語で、1723年に英語で完訳ではないが詳細に翻訳されるほど欧州のティムールに対する関心は高かった。「永遠なる敵」オスマン帝国の後に現れたティムールを「劣ったイメージ」で見ながらも恐れ、ジンギスカンを想起させた。

『勝利の書』は何よりもペルシャ詩のために難しい。韻律の美しさのために語順を変えたり発音も変える。イ氏も2016年、イランで6ヵ月間、詩を読む方法を学んだ。

物理教育科に入学し、歴史教育を副専攻して中央アジア史に熱中したイ氏の論文は、早ければ今年下半期に出版される。イ氏は、「武力を振るい、望めば人を殺した一般的な遊牧民の君主ではなく、戦略に長け、地域の調査に明るく、正確なルートによって移動した別の姿の君主を読者が見ることができればいい」と話した。


閔東龍 mindy@donga.com