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銃を持った画家

Posted July. 09, 2020 08:16,   

Updated July. 09, 2020 08:16

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「1961年、私は父に向かって銃を撃ちました。私が銃を撃ったのは、銃を撃つのがおもしろくて私を最高の気分にさせるからです」。父を殺害した横道な者の告白文みたいに見えるが、実は「射撃絵画」で名声を得たニキ・ド・サン・ファルの言葉だ。彼女はなぜ筆ではなく、銃を持ったのだろうか?その銃口はなぜ父に向かったのだろうか?

美術教育を受けたことのないド・サン・ファルは、別名「射撃絵画(Shooting Painting)」でフランス画壇に彗星のように登場した。塗料のポケットを隠した白いリリーフに銃を撃って、塗料が四方に跳ねて流れる前衛的な抽象画で、作家の幼い頃のトラウマに起因した作品だった。

ド・サン・ファルの父親は、フランスの貴族であり、母親は美しくて裕福な米国人だった。優れた美貌で有名ファッション雑誌のモデルとして活動していたド・サン・ファルは、早くに結婚して子供も産んだが、幸せではなかった。人知れぬ苦しみが、いつも自分に付きまとっていたからだ。ついにうつ病がひどくなり、精神病院に入院した。見かけは裕福なお嬢様育ちのように見えるが、実際彼女は不幸な子供時代を過ごした。夫の浮気でうつ病がひどかった母親は、子供だった彼女をしばしば殴り、父親も娘に厳しく当たった。そうするうちに、11歳の時に恐ろしい悲劇が起きた。父親が彼女を犯したのだ。

父親への裏切られた念と憤りは、その後の20年間、彼女を執拗に付きまとって苦しめた。三十一歳になった時、「射撃絵画」を開始して、彼女は初めてひどかった過去を公然と打ち明け始めた。銃撃は、父だけでなく、自分を抑えつけてきた家父長制への復讐であり、怒りの表出だった。また、自分の中の潜在的な暴力性を審美的に解消する癒しの方法だった。

「射撃絵画」の成功後、ド・サン・ファルは領域を拡大して、絶えず新しい芸術に挑戦して達成した。もし彼女が銃撃絵画を通じて自分の傷を積極的に表わして癒さなかったら、私たちは20世紀を輝かせた重要な一人の女性美術家に決して出会えなかっただろう。