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映画に天の旋律を吹き込んだ星が落ちた、ンニオ・モリコーネ氏が死去

映画に天の旋律を吹き込んだ星が落ちた、ンニオ・モリコーネ氏が死去

Posted July. 07, 2020 08:27,   

Updated July. 07, 2020 08:27

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イタリア映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーネが、6日(現地時間)死去した。最近倒れて大腿部が骨折して治療を受けていたが、ローマのとある病院で亡くなった。享年92歳。

故人は生まれつきの音楽家だった。トランペット奏者の父親の下で、幼い頃からトランペットの演奏と作曲を鍛えた。最初の曲は、6歳の時に書いた。12歳にサンタチェチーリア国立音楽院に入った。4年間の和声学の授業過程を半年で終えた。

クラシック音楽家を夢見たが、ラジオ音楽家やテレビ音楽家として生計を立てた。映画音楽家のデビュー作は、1961年のルチアーノ・サルチェ監督の「ファシスト」。イタリアとフランスの芸術映画音楽、前衛的なジャズ音楽作曲活動として奔走していた彼に、大衆の注目をもたらした人は、長い間の創作パートナー、セルジオ・レオーネ(1929~1989)だ。1960年代に、マカロニ・ウエスタンブームをもたらした「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」などの用心棒3部作。特に最後の映画「荒野に帰って来る」の口笛主題歌は、西部映画の象徴になった。同じ映画に盛り込まれた「The Ecstasy of Gold」は、メタリカがすべてのコンサートのオープニングの曲となっている。

管弦楽、合唱音楽、ポップ、ロックにあまねく長けていたモリコーネは、世界映画音楽のパラダイムを変えた。予算とシナリオの制約を創意で克服する努力と天才性のおかげだ。マカロニ・ウェスタン時代は、少ない制作費のせいで大規模な管弦楽団の代わりに口笛、銃撃音、エレキギターなどをリズミカルに活用した。トランペット専攻者として、管楽に関する専門性も独特の音楽世界に貢献した。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)の寂しいパンフルート・テーマ、「ミッション」の神聖なオーボエテーマは、一度だけ聞いても刻印される、モリコーネがもたらした神秘的な旋律だ。「ミッション」の「Gabriel‘s Oboe」は、ポップオペラ・サラ・ブライトマンが歌詞を付けた「Nella Fantasia」も広く知られている。モリコーネが作ったいくつかの映画音楽の旋律は、今までブルース・スプリングスティーン、ハービー・ハンコック、ヨーヨー・マ、多数のクラシックオーケストラが絶えず再解釈した。

ジャズと前衛的音楽にも打ち込んでいた彼は、大衆的な作曲に劣らず、映像のサスペンスを最大化する作法にも長けていた。「エクソシスト2」(1977年)、「モンスター」(1982年)、「アンタッチャブル」(1987年)、そして彼に88歳になってようやく最初のアカデミー賞を抱かせた2015年作「ヘイトフル・エイト」などがその例といえる。

それにしても「モリコーネワールド」を構築したのは、物寂しい旋律だ。「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)、「海の上のピアニスト」(1998年)をちりばめるメロディーは、映画のストーリーと一緒に、またはそれとは全く別に一つの世界を作った。2007年の最初の来韓公演は、オーケストラと似合わない場所(オリンピック公園体操競技場)で、懸念もあったが、後半の代表曲メドレーで1万6000人余りの観客の目頭を濡らした。2009年と2011年にも韓国の舞台に立った。

モリコーネは、ハリウッド映画音楽の仕事も故国イタリアでこなして、脚光から遠く離れて生涯を送った。イタリア・メランコリーを世界に知らせた。「ニュー・シネマ・パラダイス」を一緒に作ったジュゼッペ・トルナトーレ監督の「シークレットレター」(2016年)が500本を超えるモリコーネ・フィルモグラフィーのピリオドになった。葬儀は故人の意に沿って、素朴な家族葬で行う計画だと遺族は明らかにした。具体的な日程は知られていない。


イム・ヒユン記者 imi@donga.com