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自分を愛するまで

Posted October. 13, 2025 08:37,   

Updated October. 13, 2025 08:37


「いつか私はオーシャン・ヴオンを愛するだろう。」(オーシャン・ヴオン詩集『銃創を受けた夜空』)

「愛している」と告白するまでにどれほどの時間を要するのか。愛の対象が「君」ではなく「私」である場合、その時間は生の時間では足りず、生の後の時間までを要求し、不可能な告白として残される。

「私は私を愛している(愛するだろう)」という言葉は、同じ言葉ではない。この言葉を発する人が他者に接する方法や世界を読み解く方法によって、その意味は千差万別に変わる。砂粒ほどに狭い言葉になることもあれば、砂漠のように広大な言葉になることもある。時には過剰に浪費されているかのような言葉であり、ゆえに拒否したくなることもある。

オーシャンがこの言葉を発するまでにどれほど長い時間を要したかを理解するには、ベトナム系米国人として英語で詩や小説を書く彼の個人史を理解する必要がある。そのためには、彼の初の自伝的小説『地上で僕らはつかの間きらめく』を読むべきである。彼の個人史を理解することは、(ベトナム戦争時に生まれた娘と生計を立てるため米軍と接し、米軍兵士の子を産んだ祖母に始まる)彼の家族史を理解することでもある。母の胎内から臓器のように組み込まれた戦争と暴力のトラウマ、米社会で簡単に薬物にさらされ、中毒で亡くなった友人たちが残したトラウマ。移民というアイデンティティにクィアとしてのアイデンティティが重なった層状の分裂を、鋭く精緻な言語で再編し、自身を取り巻く存在たちの苦痛に満ちた人生を、美しく崇高な人生へと高めた。そして「愛」に到達したのである。

「オーシャンよ、オーシャンよ―/起きろ。君の身体の最も美しい部分は/体の未来だ。そして覚えておけ/孤独でさえも世界と共に過ごした/時間なのだ。ここに」