高宗に韓日併合反対訴えた拓庵金道和、安東で「愛国活動」テーマに学術大会
Posted August. 16, 2023 08:23,
Updated August. 16, 2023 08:23
高宗に韓日併合反対訴えた拓庵金道和、安東で「愛国活動」テーマに学術大会.
August. 16, 2023 08:23.
by イ・ソヨン記者 always99@donga.com.
「一寸の土地も一人の民も、陛下の私有物ではありません。ところで陛下は、どうして独断で国をやりとりすることを、一般の民が畑と農産物を売買するようにするのでしょうか」1910年8月29日、庚戌国恥の時、拓庵金道和(チョクアム、キム・ドファ=1825~1912)が高宗にささげた「合併しないよう求める上訴」の一部だ。当時85歳だった拓庵は、門の前に「合邦大反之家(日本帝国との併合を大きく反対する家という意)」という扁額を掲げ、自ら自宅のドアに鍵をかけた。以後、日帝の監視を受けて2年後に亡くなるまで、詩と文で日帝の侵略に対抗した儒林であり文章家だった。慶尚北道安東市(キョンサンブクド・アンドンシ)の韓国国学振興院で22日午後2時、「拓庵金道和の学問と愛国活動」をテーマに学術大会が開かれる。韓国国学振興院・漢文教育院は、韓日併合に憤慨した拓庵の詩と書簡、上訴文などが収録された文集計55冊を韓国語に訳し、今年電子書籍で出版した。今回の学術大会は、この4年間の国訳の成果物を基に開催された。拓庵は、乙未事変(1895年10月8日)以降、1896年1月に安東の義兵を糾合して安東義陣を結成し、第2代義兵長に推戴された。1905年の乙巳勒約の直後は、「乙巳勒約を直ちに廃棄せよ」という内容の上訴文「青破五条約疏」をささげた。この上訴文で、拓庵は乙巳五賊について、「彼らを許せない罪は3つあり、第一は国を売った罪、第二は外敵と隠密に通じた罪、第三は王を脅迫した罪だ」と書いた。1983年に建国褒章、1990年に愛国章が追叙された。
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「一寸の土地も一人の民も、陛下の私有物ではありません。ところで陛下は、どうして独断で国をやりとりすることを、一般の民が畑と農産物を売買するようにするのでしょうか」
1910年8月29日、庚戌国恥の時、拓庵金道和(チョクアム、キム・ドファ=1825~1912)が高宗にささげた「合併しないよう求める上訴」の一部だ。当時85歳だった拓庵は、門の前に「合邦大反之家(日本帝国との併合を大きく反対する家という意)」という扁額を掲げ、自ら自宅のドアに鍵をかけた。以後、日帝の監視を受けて2年後に亡くなるまで、詩と文で日帝の侵略に対抗した儒林であり文章家だった。
慶尚北道安東市(キョンサンブクド・アンドンシ)の韓国国学振興院で22日午後2時、「拓庵金道和の学問と愛国活動」をテーマに学術大会が開かれる。韓国国学振興院・漢文教育院は、韓日併合に憤慨した拓庵の詩と書簡、上訴文などが収録された文集計55冊を韓国語に訳し、今年電子書籍で出版した。今回の学術大会は、この4年間の国訳の成果物を基に開催された。拓庵は、乙未事変(1895年10月8日)以降、1896年1月に安東の義兵を糾合して安東義陣を結成し、第2代義兵長に推戴された。1905年の乙巳勒約の直後は、「乙巳勒約を直ちに廃棄せよ」という内容の上訴文「青破五条約疏」をささげた。この上訴文で、拓庵は乙巳五賊について、「彼らを許せない罪は3つあり、第一は国を売った罪、第二は外敵と隠密に通じた罪、第三は王を脅迫した罪だ」と書いた。1983年に建国褒章、1990年に愛国章が追叙された。
イ・ソヨン記者 always99@donga.com
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