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貯水池

Posted May. 01, 2021 08:04,   

Updated May. 01, 2021 08:04

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毎年5月になると、気が遠くなる。もう2021年もこれほど過ぎたなと思うと、気が急く。人間関係も振り返るようになる。子どもの日、両親の日、先生の日、気を使わなければならないことが多い。その中でも切ないのは両親の日だ。両親とこれから何年、一緒に過ごすことができるかを考えると、5月の燦爛たる姿はちょっと悲しい。両親なしに迎える両親の日はもっと悲しいだろう。

良い人になることは大変で、良い親になることはもっと大変だ。その難しいことを数多くの親が結局やり遂げる。彼らが社会で無名の人々だとしても、子どもには一つだけの英雄であり伝説だ。親はどれほどすごいかと聞かれたら、今日は「貯水池」ぐらい、と答える。詩人クォン・ジョンウの詩「貯水池」を読むと、あれが似たいと思うし、盛り込みたいと思う両親の気持ちだろうと。

母と喧嘩して、ひどい事を言った時、母は、私の言った事を拾って飲み込んだ。父にかっとなって突っかかってくる時、父は牛の角のような言葉に突き上げられながらも、避けなかった。クォンさんが眺めた貯水池も同じで、角張ったものや黒いものまですべて包み込んでいる。何でもかんでも受け止めながら、包み込んだものを傷つけない。低い位置から沈んだものまで抱きしめても溢れない。だから今年の5月は、「貯水池」というタイトルを「両親」と読みたい。私の英雄の名をその場に置きたい。我々も貯水池のような親になりたい。

文学評論家