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認知症患者の目線で、観客を恐怖の中に

Posted March. 29, 2021 08:45,   

Updated March. 29, 2021 08:45

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認知症になった老いた両親と介護する子どもの困難な暮らし。ドキュメンタリーやフィクションの定番の素材であり、私たちの周辺でもよくあることだ。フローリアン・ゼレール監督は、新しくはないこの素材を原作である演劇に続き、映画『ファーザー』でも活用した。それでも『ファーザー』が力を持つのは、認知症患者の視線で話を展開していくところにある。認知症患者の世界がどのように混乱していくのかを観客に「体験」させるこの映画は、どんなホラー映画よりも鳥肌が立つほど恐ろしい。来月7日に上映する『ファーザー』は、第93回アカデミー賞の作品賞、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)、助演女優賞(オリビア・コールマン)、脚色賞、美術賞、編集賞の6部門でノミネートされた。リー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』と作品賞、主演男優賞(スティーヴン・ユァン)、助演女優賞(ユン・ヨジョン)の3部門で競う。

映画は、80歳のアンソニー(ホプキンス)が英ロンドンにある自宅でクラシックを聞くシーンで始まる。彼を訪ねてきた娘のアン(コールマン)と日常の会話をする5分余りが、観客がこの映画を気楽に見ることができる唯一のひととき。日常的であるよう努力した2人の会話は、すぐに恐ろしい実体をさらけ出す。毎度自分が時計を置いた場所を忘れるアンソニーは「介護ヘルパーが私の腕時計を盗んだ」と言って、ヘルパーを泥棒と決めつける。フランス・パリに発たなければならないアンは、新しいヘルパーを探さなければならないが、「私はまだ大丈夫」と言って拒否する頑固なアンソニーのために苦慮する。

映画がさらに恐ろしくなるのは、観客が直接、認知症を体験することになってから。アンが行った後、一人の男がソファに座って新聞を読んでいる。「誰だ」と警戒するアンソニーに、「その男」(マーク・ゲイティス)は自分はアンの夫のポールだと言って、「私が分からないのか」と問う。それほど経たずにアンが帰って来るが、「その女」(オリヴィア・ウィリアムズ)は娘ではない。「アンはどこへ行ったのか」と言うアンソニーに、その女は「お父さん、私がアンよ」と言って心配そうな目で見る。その後、アンの夫の顔は引き続き変わり、その女はアンからヘルパーに、介護施設の看護師になって登場する。アンの本当の夫は誰なのか、その女の実体は何なのか、観客もアンソニーも分からない。

視空間の概念が消え、既知の人の顔と名前がごちゃまぜになったアンソニーの世界。この世界に観客も没頭することになるのは、ホプキンスの演技が重要な役割をする。彼は、娘が財産を手に入れるために自分を介護施設に送ろうとしていると考える意地悪い老人の姿から、介護施設に一人残され、「お母さんに会いたい」と泣く子どものような姿まで、自由自在に演じる。

ホプキンスが米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューで打ち明けた話には驚かされた。介護施設で泣くシーンを撮影した後、監督に「次のシーンを撮影するまで気持ちを落ち着かせる時間がほしい」と言ったという。他人の人生を表現することに慣れたであろう60年余りの演技経歴にもかかわらず、このシーンを撮影して亡くなった父親が思い出され、「込みあがる悲しみ」を堪えられなかったという。年を取るというその公平な悲劇の前に立たされた人間の弱さ。これを直視することから来る悲しみを、映画館を訪れた観客の誰もが経験することになるだろう。


金哉希 jetti@donga.com