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理性と本能の間

Posted October. 15, 2020 08:29,   

Updated October. 15, 2020 08:29

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二重性は、人間の天性なのかもしれない。完璧にいい人も、完全に悪い人もいないからだ。誰もが善悪の両面を持っており、理性と本能の間で葛藤する。何が優位を占めるかによって、先人と悪人に分かれるだけだ。イタリアのルネサンス黄金期に活動したサンドロ・ボッティチェッリは、異性と本性の関係を一幅の絵に込めた。

縦2メートルを超える巨大なキャンバスには、実物大の二人の人物が描かれている。左は、ギリシャ神話に登場する半人半獣のケンタウロスで、性質が乱暴で、好色なうえ酒が好きなモンスターだ。右は、知恵と戦争の女神・パラスアテナで、ローマ神話に出てくるミネルバと同じ人物だ。パラスは「槍を振り回す者」という意味で、アテナを呼ぶ呼称だ。矢を持ったケンタウロスは、鉾を持ったパラスに髪の毛をつかまれたまま、悲しい顔をしている。筋肉質の野獣のような容姿と違って、女神に完全に制圧されておびえている様子だ。ケンタウロスは節制を知らない本能と欲望を、パラスは理性と知恵を象徴する。だから絵は長い間、本能を制御する理性を表現したものと理解され、そのほかも政治的、宗教的な視点に基づいてさまざまな意味で解釈されてきた。

パラスのドレスには、ダイヤモンドの指輪三つが結合されたメディチ家の模様が刻まれていて、頭には月桂冠をかぶっている。これは、絵の注文者であり、当時のフィレンツェの支配者だったロレンツォ・デ・メディチを暗示する。だから画家は、自分のスポンサーである君主を、貪欲と本能に打ち勝った賢い勝者のイメージで永遠にキャンバスに刻もうとした。

本能を常に抑えて生きることは、事実難しいことだ。選択の前では誰も揺れて葛藤する。半人半獣のケンタウロスは、それ自体がこのような二重性の標本でもある。異性に飼いならされれば、従順な人間に近づくだろうが、獣の本能に食い込まれれば、破壊的なモンスターになってしまう。良い人にはならなくても、モンスターにはならないように、理性がいつも目を覚ましていなければならない理由だ。