Go to contents

韓国戦争の激戦地跡「ソウル黒石洞」に案内表示設置へ

韓国戦争の激戦地跡「ソウル黒石洞」に案内表示設置へ

Posted September. 01, 2020 14:56,   

Updated September. 01, 2020 14:56

한국어

1950年に韓国戦争が勃発した直後、ソウルは侵略してきた北朝鮮軍と首都を死守する国軍の激しい激戦地となった。漢江(ハンガン)以南に北朝鮮の国旗が掲げられることを阻止するために漢江防衛線が引かれた各地域を中心に、国軍は生きるか死ぬかの戦闘を繰り広げた。漢江の歩道橋と鉄橋をつなぐ鷺梁津(ノリャンジン)付近では北朝鮮軍が漢江を渡ることを遅らせた「鷺梁津戦闘」、今の孝思亭(ヒョサジョン)公園の周辺で川の向こう側に侵入した北朝鮮軍と戦った「黒石洞(フクソクトン)戦闘」があった。2つの戦闘は、韓国戦争初期、北朝鮮軍の南進を遅らせた代表的な戦闘と記録されている。韓国戦争史を画したが、70年が経った今もこのような内容を称える施設や記念碑はない。

 

ソウル市が、韓国戦争70年を迎え、2つの戦闘が起こった場所を含め韓国戦争の激戦地跡50ヵ所を発掘する。50ヵ所のうち31ヵ所には戦闘が起こったことを知らせる標石や案内表示がないため、ソウル市は31日、2022年までにすべての地域に表示板を設置する計画を明らかにした。

ソウル市はまず第一弾として3ヵ所の案内表示を設置した。鷺梁津戦闘が起こった死六臣廟(サユクシンミョ)公園、漢江防衛線の主要戦闘地だった孝思亭公園、当時国軍第7師団第1連隊長だった咸俊鎬(ハム・ジュンホ)大佐が戦死した場所である江北区牛耳洞(カンブクク・ウイドン)のヨンギョン共同住宅だ。

これだけではなく、今回発掘した「韓国戦争の激戦地跡」を安保観光プログラムとして開発する。ソウル市は、国防部軍事編纂研究所やソウル観光財団などに諮問する予定だ。また、2024年9月までに「ソウルの戦い記念館」(仮称)を銅雀(トンジャク)近隣公園の近くに建て、常設探訪プログラムも運営する方針を明らかにした。

 

カル・ジュンソク・ソウル市非常企画官は、「記憶から薄れ、都市開発で消えていくソウル市内の韓国戦争激戦地跡を今からでも発掘、保全することになり、非常に意義深いと考える」とし、「歴史の痛みを共有する安保教育の場になるよう最善を尽くして推進する」と話した。


李知訓 easyhoon@donga.com