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韓国戦争を従軍取材し女性では初めてピューリッツアー賞受賞、米国の女性記者マーガレット・ヒギンズさん

韓国戦争を従軍取材し女性では初めてピューリッツアー賞受賞、米国の女性記者マーガレット・ヒギンズさん

Posted June. 30, 2020 08:34,   

Updated June. 30, 2020 08:34

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70年前の1950年6月27日、米国の一人の女性新聞記者が金浦(キムポ)空港に到着した。二日前に勃発した韓国戦争を取材するためだった。ベルリン封鎖事件など、世界的なスクープを報じた米ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの従軍記者マーガレット・ヒギンズさんだ。仁川(インチョン)上陸作戦のルポと「韓国戦争(War in Korea)」の著述などで、女性としては初めてピューリッツァー賞を授賞した。

軍服がよく似合うというあのヒギンズさんが、大きな写真の中で明るく笑っていた。忠清南道公州市(チュンチョンナムド・コンジュシ)チョンジャバン1路のキム・ジョムソク韓国政策放送院(KTV)専門委員(64・プレーランサー)の自宅に入った時だった。1950年10月に米国のグラフ雑誌ライフに掲載されたヒギンズさんの特集記事の写真だった。部屋はヒギンズ博物館のようだった。彼女が韓国戦争の取材時に使用したり、身に着けていたタイプやゴーグル、軍服と同じ製品が陳列されている。ヒギンズさんの記事が掲載された色あせたニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの紙面、米国で発行されたヒギンズ切手など…。1991年にヒギンズの熱烈なファンとなったキム委員が海外のオークションや国内古本屋などを通じて手にしたものだ。

ヒギンズさんが従軍取材から6ヶ月後に出したルポ「韓国戦争」は、複数の英語版やドイツ語、フランス語、韓国語翻訳版を全て持っている。1951年に米国での出版と共に直ちにベストセラーになった。国内では、2009年に初めて翻訳されたといわれているが、キム委員は、出版されたその年の翻訳版「韓国は世界の睡眠を目覚めさせた」を所蔵している。キム委員は、「このような貴重な資料を通じて、私たちがどのよう苦労して自由を守ったのかを若い世代に伝えたいが、社会的な関心が遠ざかり、展示スペースを用意することさえ難しい」と残念がった。

1980年に東亜(トンア)放送に合格したが、新軍部の言論統廃合によって入社の夢を果たせなかったキム委員がヒギンズさんに魅了されたのは、マスコミ資料の収集が長い間の趣味のうえ、彼女のジャーナリスト精神と自由へのメッセージに共感したからだ。女性という理由で、ヒギンズさんはいつも従軍取材で壁にぶつかった。仁川上陸作戦を取材しようとしたとき、米海軍は艦艇に女性を乗せない伝統を理由に、乗船を許されなかった。ヒギンズさんは女性ではなく、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン記者だと抗弁して輸送船に乗った。1950年9月18日付のニューヨーク・ヘラルド・トリビューンに掲載された仁川上陸作戦の従軍記「赤い海岸」は、ピューリッツァー賞受賞のきっかけとなった。

ヒギンズさんは帰国後、自分の著書を持って全米を回りながら、戦争中の韓国を助けるべきだと訴えた。キム委員は、韓国戦争の意味を呼び覚ましたこの本の最後の部分を胸に刻むべきだと強調した。「韓半島で、我々は準備ができていない戦争を行うことで、高価な代償を払った。また、勝利は多くの費用を要求するだろう。しかし、それは敗北したときに支払わなければならないコストよりはるかに割安だ。


池明勳 mhjee@donga.com