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韓国戦争の北出身捕虜の全員が「反共捕虜」ではない、延世大教授が報告

韓国戦争の北出身捕虜の全員が「反共捕虜」ではない、延世大教授が報告

Posted June. 17, 2020 08:46,   

Updated June. 17, 2020 08:46

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「韓国戦争における反共主義的研究は、戦争を冷戦、対決構図だけで認識したことで、戦争の背後にある複雑さを見過ごした限界がある」

金明燮(キム・ミョンソプ)延世(ヨンセ)大学政治外交学科教授は、韓国戦争70周年を迎えて17日に開かれる学術会議「韓国戦争の漢江(ハンガン)ライン戦闘と戦争70周年の省察」の発表資料でこのように主張した。今回の学術会議は、韓国政治外交史学会と韓国戦争学会(以上、会長=チョ・ソンフン軍事編纂研究所長)が、ソウル龍山区(ヨンサング)の戦争記念館で共同開催する。

金教授は、「韓国戦争史70年の歴史政治学:勝利のための宣伝を越えて」で、共産主義に反対していた北朝鮮軍出身の戦争捕虜という意味で使われる「反共捕虜」よりは、「送還不願捕虜」という用語がより適していると主張した。反共思想ではなく、単に故郷が南なので北への送還を望まない捕虜もいたのだという。

中立国を選んだ捕虜たちは、共産主義と反共主義を拒否した「第3のイデオロギー」を選んだという考えも、小説「広場」などの影響で生じた通念に過ぎないと指摘した。後で米国に密入国できると期待して中立国を選んだという証言が出てきたことから見て、平和で住み良いところを探して離れたのだという。

1950年12月4日、壊れた大同江(テドンガン)橋に何とかに乗って南下する避難民を撮影して、ピューリッツァー賞を受賞した写真「Flight of Refugees Across Wrecked Bridge in Korea」も、反共主義体制宣伝用として活用されたと見ている。金教授は16日、東亜(トンア)日報との通話インタビューで、「避難民の中には、原爆投下と爆撃の恐怖で、安全な場所を探す人たちもいただろう」と主張した。

韓国が停戦協定の当事者でないという主張は事実と違うと明らかにした。停戦協定は、元々国家首脳ではなく、軍の司令官が行うものであり、マーク・クラーク国連軍司令官が、国軍や他の参戦国軍司令官を代表して署名したという説明だ。既存の戦争史の研究で、開戦時間を6月25日午前4時としたのは午前5時の誤りだと明らかにした。当時韓国は、サマータイムを実施したので、平壌(ピョンヤン)より1時間早かったのだ。

韓国戦争の研究は、伝統主義と修正主義、後期修正主義などに区分される。しかし、金教授は、これは米国学界の冷戦史研究を分類する際に適した方法だと見ながら、共産主義、反共主義、反反共主義に分けることを提案した。氏は、「反共主義的韓国戦争の研究は、共産主義に対する反対の意味があったが、ドグマになり、継承発展されなかった」とし、「勝利と体制宣伝のために隠されたり、歪曲された真実を見つけなければならない」と語った。

学術大会ではこの他、韓国戦争当時、漢江ライン防御作戦、金浦(キムポ)半島戦い、第二次ソウル修復戦いの意味を再照明した発表などが行われる予定だ。


趙鍾燁 jjj@donga.com