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韓国戦争時に24国から従軍記者、第2次大戦の半分

韓国戦争時に24国から従軍記者、第2次大戦の半分

Posted May. 16, 2020 08:56,   

Updated May. 16, 2020 08:56

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「1950年9月末、韓国戦争の取材のために、世界24カ国から238人の従軍記者が韓国戦線で取材に熱を上げた。これは第二次世界大戦当時に動員された記者の半分に相当する数値だった」

鄭晉錫(チョン・ジンソク)韓国外国語大学名誉教授は15日、済州西帰浦市(チェジュ・ソギポシ)のKALホテルで開かれた「韓国戦争と韓国メディア」と題したセミナーで、「韓国戦争とメディア」の主題発表を通じてこのように明らかにした。鄭教授は、「一気にこのように多くの記者が特定地域に動員されたのは、当時まで第2次大戦だけだった」とし、「非公式集計によると、韓国戦争を取材していた海外記者は、約600人に達した」と述べた。同日のセミナーは、寛勲(カンフン)クラブ(総務=朴正薰朝鮮日報論説委員室長)が、韓国メディア振興財団から後援を受けて開催した。

発表によると、戦争を取材していた記者18人が犠牲になったし、そのうち米国記者は10人だった。8人は銃弾によって死亡し、2人は飛行機墜落事故で死亡した。

報道機関は、釜山(プサン)をはじめ、避難先を転々としながら新聞を発刊したが、施設の人的損失は甚大だった。東亜(トンア)日報も、チャン・インガプ編集局長とぺク・ウンソン写真部長、イ・ギルヨン体育専門記者など約16人が北朝鮮に連れて行かれた。1950年10月4日、ソウルで続巻号を出しながら、「行方不明の社員の家族は、本社に連絡してほしい」という記事を掲載したほどだった。鄭教授は、「戦争中に拉致されたジャーナリストは、KBSの28人をはじめ、計285人と試算される」と語った。

北朝鮮は、南侵前から1950年6月の1カ月中に、文人を動員して「平和的祖国統一の実現」を強調する文を労働党機関紙「労働新聞」と内閣機関紙「民主朝鮮」に掲載しながら、対南宣伝を強化した。事前準備に基づいて、ソウルを占領してからわずか4日後の7月2日から、「解放日報」と「朝鮮人民報」を発行して統治手段として活用したと、鄭教授は明らかにした。

ユン・サンギル信韓(シンハン)大学メディア言論学科教授は、「冷戦のメディア、メディアの冷戦」で誤報の乱発を指摘した。ユン教授は、「軍が提供した戦況情報には、事実と異なる内容が多かったので、誤報も非常に多かった」と話した。

同日のセミナーのパネリストには、權宰賢(クォン・ジェヒョン)東亜日報週間東亜チーム部長、裵泳大(ぺ・ヨンデ)中央(チュンアン)日報近現代史研究所長、柳善榮(ユ・ソンヨン)聖公会大学新聞放送学科教授が参加した。


趙鍾燁 jjj@donga.com