Go to contents

悲劇が生んだ名作

Posted April. 23, 2020 08:14,   

Updated April. 23, 2020 08:14

한국어

悲劇の前で芸術家は何ができるだろうか? 「ゲルニカ」は、この質問へのパブロ・ピカソの答えかもしれない。キュービズムの先駆者として女性のヌード画だけを描いていたピカソは、この絵一点により、反戦を描いた最も有名な画家になった。何が彼を反戦画家に導いたのだろう?

1937年1月、スペイン政府は当時、フランスのパリに住んでいたピカソに、その年のパリ万国博覧会のスペイン館を飾る壁画を依頼した。最初、画家は何を描くか漠然としていた。初期のスケッチには、彼の作業室でソファに寄りかかったヌードモデルと一緒にいる画家自身を描いた。彼が生涯描いてきた最も身近なテーマだった。しばらくして、彼の祖国で恐ろしい悲劇が起こった。スペイン内戦の真っ最中だった1937年4月26日、ナチスがスペイン北部の小さな町ゲルニカを爆撃して、1700人が命を落とした。犠牲者の大半は女性と子供だった。祖国の悲報に怒ったピカソは、まっすぐアトリエに行って筆を取った。テーマは反戦に変えた。横が8メートル近くもある大作を、35日で完成させた。

絵には、死んだ子供を抱いて絶叫する女、折れた剣を握って倒れた兵士、傷ついて泣き叫ぶ動物、嗚咽する女、手足が切断された遺体など、戦場で見られる悲惨な姿が絡まっている。キュービズム様式で描かれた白黒トーンの巨大な画面は、奇怪でありながらも、戦争の悲劇を生々しく伝える魅力があった。絵はパリでの展示後、世界巡回展示を経て反戦の象徴となった。ミューズだけを描いていたピカソに反感を持っていた人も、「ゲルニカ」の前では敬意を表した。第二次世界大戦中にパリがナチスに占領されたとき、ピカソの作業室を訪れたナチス将校がゲルニカの写真を見て尋ねた。「この絵は、君が描いたものか?」。ピカソは「いいえ。あなたたちがやったことだ」と答えた。彼の答えは事実だった。ゲルニカの悲劇がなかったら、ミューズ画家のピカソが反戦画家になる理由は全くなかったのだから。

美術評論家