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「洪常秀スタイル」に陥った国際映画祭

Posted March. 03, 2020 08:15,   

Updated March. 03, 2020 08:15

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「日常の欲望を赤裸々に表した監督」

第70回ベルリン国際映画祭で映画「逃げた女」で銀熊賞の監督賞を受賞した洪常秀(ホン・サンス)監督(60)の作品世界を巡る評価だ。洪監督は、男女の日常的な出会いと会話を通じて、人間の内密な欲望と偽善を赤裸々に表した作品を披露してきた。1996年に長編デビュー作「豚が井戸に落ちた日」から24番目の長編「逃げた女」まで、自伝的物語に基づいて人物の心理描写に集中して、「洪常秀映画」ならではの色を構築してきた。

洪監督作品の最大の特徴は日常性と言える。普通の男女が職場や旅先で出会ってご飯を食べて散歩をし、お酒を飲む些細な日常に於いての会話を通じて、人物の感情を描写する。男女の主人公が酒を飲んで「何気ない」会話を交わすシーンは、洪監督映画の日常に必ず登場する。酒の席でささいなことの議論のテーマとなり、肝心の登場人物が語ろうとするコアは外れてしまう。本気は埋もれてしまうコミュニケーションの限界を露出するのだ。ユン・ソンウン映画評論家は、「表面から見れば平凡なキャラクターだが、各人物間の微妙な力関係を通して内面の葛藤、矛盾、偽善をそのまま表現して楽しさを加える」とし、「チャーリー・チャップリンの言葉のように『遠くから見れば喜劇だが、近くで見れば悲劇』が洪監督の映画でも表れている」と語った。

洪監督の作品世界は、恋人の俳優キム・ミンヒが「ペルソナ」として強固に定着したことで、変曲点を迎えた。かつて洪監督の映画は、本音を明快に言わない女性人物に対する男主人公の内的葛藤を扱い、その過程で男主人公の「かっこ悪さ」を自嘲的に露出する傾向が濃厚だった。アン・スンボム映画評論家は、「既存の洪監督の映画で、女性人物は男性のミクロな欲望の対象であったなら、2010年の『オッキの映画』から女性の欲望を覗き込もうとする意志が表れている。「夜の浜辺で一人」(2017年)では、キム・ミンヒと呼ばれるペルソナを通じて、社会の基準から外れる人生についての悩みも表出した」と語った。キム・ミンヒにベルリン映画祭主演女優賞を抱かせた「夜の浜辺で一人」では、既婚男性との出会いによるストレスに勝てず、すべてのものを置いて海外に離れてきたヨンヒ(キム・ミンヒ)の心理変化を細かく描写した。

日常をそのまま露出する脚本の特徴は、撮影手法でも表れる。洪監督は何の技巧もなくフルショット、ズームインのような基本的な手法を好む。アン評論家は、「シーンを切らずに見せる『ロングテイク』の手法を多く使っているが、画面から被写体が消えても、数秒間そのシーンを表示することもある。時間と空間を技巧なくそのまま込める。これにより、人物の言葉と行動、セリフの中に隠れたいやらしい欲望にまるごと集中させる」と語った。

洪監督は、国際映画祭に着実に映画を出品して、「映画祭が愛した監督」に位置づけられた。チョン・チャンイル映画評論家は、「欧米社会に定着したモダニズムの特徴は、日常の美学だ。洪常秀の映画がフランス、ベルリンなどで脚光を浴びる理由も、日常の些細な出来事を執拗に食い込んだからだ」とし、「社会的メッセージや時代性を盛り込まず、日常をそのまま見せることに拘っている監督」と評価した。


金哉希 jetti@donga.com