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気候変動が生んだ傑作

Posted February. 01, 2020 08:25,   

Updated February. 03, 2020 08:25

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19世紀の英国の文学作品は、曇った天気の陰鬱な雰囲気を醸し出す。ロバート・スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」、バイロンの「闇」などは、曇り、雨の天気が続いていた単調な雰囲気の中で書かれたものだ。この時期の小説風であるゴシック(Gothic)小説では、嵐や不気味な天気が重要な文学的要素として活用される。エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は、激しくて様々な天候現象と激動が満ちた小説だと批評家たちは評する。

19世紀には気象異変が多かった。1815年のタンボラ火山の噴火のように、その原因が自然の中で始まったものもあったが、概ね、産業革命による煤煙がもたらしたものだった。19世紀半ば以降は、工場の煙突から出る煙のために天候は急激に悪化した。煤煙の排出を禁止する規制が1853年、英国で初めて登場するほど、1850年代になると、産業発展による汚染はすでに深刻な状態に至った。

1851年に最初の万国博覧会がロンドンで開催された。鉄骨とガラスで造られた巨大な水晶宮では、産業革命の目覚しい成果である工業製品が展示されたが、その裏には、公害に汚れたロンドン市民の苦しみがあった。「オリバー・ツイスト」の作家チャールズ・ディケンズは、「荒涼館」という小説を通じて、産業革命の成果に隠された貧民窟の息詰まる環境と悲惨さを告発した。ロンドン万国博覧会のテーマは「進歩」だったが、これは人間の無限の能力と進歩を巡る確信から始まったものだった。しかし、自然に対する人間の支配を意味していた「進歩」は、結局自然の無慈悲な破壊として現れた。

英国の空を覆っていた煤煙による天気の変化で、1870年代は毎年の夏に異常に大雨が降り、収穫した農産物は腐り、伝染病が広がった。現代の統計資料によると、英国の大気中の二酸化硫黄の濃度は、1880年代にピークに達したという。1884年、65歳のジョン・ラスキンは、「19世紀の嵐雲」という本の中で、青年時代の天気に比べて確実に悪くなった天気を比較した。「当時の天候は3ヶ月間も太陽を見られないほど陰鬱な天候ではなかった」と嘆いた彼は、大学生時代の1840年頃に「世の中に悪い天気などない。異なる天気があるだけだ」と、すべての天気を賛美していた人だ。文学批評家である彼は、古代ギリシャのホメロスから当時のバイロンまで、芸術作品と文学作品を入念に比較検討した結果、当時のような陰鬱な天気はかつてはなかったことを発見した。ラスキンは、結局人間と自然との間の神聖な契約が悲惨な破滅に至るだろうという不吉な予言を残した。

ロンドン万国博覧会から170年が過ぎた今日、韓国は依然気候変動の脅威と粒子状物質の苦しみを同時に経験している。汚染された大気と悪天候により、ホラー小説がこの時代の代表的な文学ジャンルになることがないことを願う。ラスキンの不吉な予言が、ただ暗黙的な文学的教訓だけを残しことに止まることを願うだけだ