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僕らの時は違ったというのですか?

Posted January. 11, 2020 09:22,   

Updated January. 11, 2020 09:22

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「バラエティの卵」に転身した許栽(ホ・ジェ)元バスケットボール韓国代表監督(55)は、いつも良い思いだけだったわけではない。コートに君臨した彼も、引退を悩んだ30代後半にはベンチを守る時間が増えた。出場の保証がないシックスマンとなったが、むしろ生まれて初めての苦い経験が、自身を大きく成長させたと言う。「普段、控えの後輩たちに良く言ってあげた言葉があるんです。『休んでいたくせにそれくらいしかできないのか』とヤジを飛ばしたんです。いざ、自分が同じ境遇に置かれたら、自ずと顔が熱くなりましたね」。交代メンバーで出場していると、汗が冷めてシュートも思うように入らないし、バランスを保つのが難しかったという。それからは、後輩たちに勝手なことは言わなくなった。

許氏はユニフォームを脱いだ後、プロバスケットボール・KCCの監督として優勝2回、準優勝1回の成績を挙げた。1997年にスタートしたプロバスケットボールで選手と監督として優勝を経験した最初のケースだった。「選手としての晩年の時を思い出しながら、言葉を慎重に選びながら、選手たちの哀歓に気を使ったのもチーム戦力に大きく役立ちましたね」。そういえば、許氏のテレビ番組でのキャラはバスケ記者として20年近くをウォッチしてきた現役選手時代の華やかさとは様変わりしている。「バスケ大統領」「バスケ9段」の異名からも分かるように、相手守備網を切り裂いく変幻自在のドリブルに加え爆発的なシュートなどでカリスマ性あふれる選手だった。鋭い眼光はレーザーのようだった。額が引き裂かれて、血が流れても、指が折れてもコートを守り、闘魂の代名詞だった。

しかし、テレビに出演している許氏は、どこかあどけない。広く知られている通り、彼は酒豪だ。相手守備は、彼が吐く息から臭う酒臭さのため、まともなマークが難しいという笑い話もあった。最近はテレビの収録前日は、酒を一滴に飲まないという許氏が出演するバラエティ番組をみると、ピュアな人間に見える。とんでもない空蹴りや、近所のおやじのような人好しの笑顔が自ずと笑いを注ぐ。頑固な一匹オオカミやワンマンショーとは距離がある。二人の息子をみなバスケットボールスタープレイヤーに育てた許氏は、「子供たちにチームメイトに配慮し、喋るより耳を先に傾けるよう言い聞かせている」と話した。カメラの前で権威を下ろす姿で率先しているのかもしれない。

バレーボールの名称で名を馳せたシン・チヨン鎮川(チンチョン)国家代表選手村長(65)は、年が明けて許氏ほど忙しく過ごしている。7日の東京五輪を控えて、周囲の関心が高まったからだ。4年間汗を流してきた代表選手たちを率いているシン氏は、三星(サムスン)火災監督時代に優勝製造機として有名だった。実に20年間チームを采配しながら、77連勝、Vリーグ8回など計16回も頂上に立った。選手たちとのコミュニケーションと徹底した管理のバレーボールが功を奏した。


金鍾錫 kjs0123@donga.com