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母が痛い

Posted November. 20, 2019 08:37,   

Updated November. 20, 2019 08:37

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ある哲学者は、世界で最も悲惨なことは何かという質問に「記憶を失うこと」だと答えた。苦しい経験から出た言葉だった。彼の母親は晩年、アルツハイマー病を患った。彼の母親が生存しているとき、暇さえあればその傍に駆けつけていった。傍から文も書き、校正もし、本も読み、瞑想もした。しかし、母は息子に気づかなかった。

ある日、彼が母親に痛いかと尋ねると、「うん」と答えた。彼は母親が自分の言葉が分かるのかという気がして、どこが痛いのかと尋ねた。すると彼の母親は、「ジェ・マル・ア・マ・メル」と答えた。直訳すれば、「私は母が痛い」という意味だった。不完全でぎこちない文章であるだけでなく、母ではなく、息子の口から出てきてもおかしくない言葉だった。母親が息子の立場になって話をするようだった。もちろんそんなはずはなかった。多分、自分の母親を思い出して、そう言ったかも知らなかった。どっちであれ、息子は母親の言葉に胸がつかえた。

母にとって、息子は名前のない他人、見知らぬ他人だった。息子の言葉を聞いても本当に聞くのではなく、息子の顔を見ても本当に見るのではなかった。悲しいことだった。彼はそんな母の最後を見ながら、その悲しみを言語で刻み始めた。記憶を失った母を、自分だけでも長く思い出したかった。これは後で、彼の感動的な著書「割礼告白」の一部となった。

八十代後半の母親は、最後の3年をそのように生き、息子に最後まで気づかず、90歳でこの世を去った。その母の息子が、フランスの哲学者ジャック・デリダだった。アルジェリアで生まれ、フランスに移住し、ディアスポラの人生を生きなければならなかったデリダは、そのように母をアルツハイマー病で失った。母の最後の3年は、彼には「3年間続いた長い長い死」だった。母の長い長い死を見ながら、彼は記憶を失うことが世界で最も悲惨なことだと思った。愛する人がそのようになれば、誰だってそうだろうけれど。



キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com