Go to contents

69年ぶりに親のそばで眠る長津湖戦死の2人の米軍

69年ぶりに親のそばで眠る長津湖戦死の2人の米軍

Posted October. 04, 2019 08:30,   

Updated October. 04, 2019 08:30

한국어

韓国戦争に参戦して、69年ぶりに故郷に帰ってきた米軍戦死者ジェリー・ギャリソン陸軍上等兵とジェラルド・レイメカ兵長のエピソードを、CNNが2日(現地時間)紹介した。その前日、米国防総省の戦争捕虜及び行方不明者確認局(DPAA)は、昨年7月に北朝鮮が米国に渡した55個のボックスにいた米軍遺骨のうち、身元が確認された5人の写真と行方不明当時の階級を公開した。二人はこの5人の中に含まれている。

ギャリソン上等兵とレイメカ兵長は、1950年11月26日〜12月11日咸鏡南道長津(ハムギョンナムド・チャンジン)一帯で行われた長津湖の戦いで行方不明になった。米軍を中心とする国連軍と中国軍は厳しい寒さの中で激しい戦いを繰り広げた。国連軍が敗れて興南(フンナム)に撤退した。

当時21歳だった南部アーカンソー州出身のギャリソン上等兵は、1950年12月2日に行方不明になった。彼は部隊が後退する途中、攻撃を受けたものと推定される。彼が死亡した当時16歳だった妹のアリスさんは、現在85歳のおばあさんになった。アリスさんはCNNとのインタビューで、「兄は親切で、自動車の代わりに馬に乗るのが好きだった」と振り返った。彼女は「兄が家に帰ってきたのが誇らしい。遺骨で帰ってくることを望んだのではないが、何もないよりはましだ」と話した。

ニューヨーク州ダンカーク出身で、同じく21歳だったレイメカ兵長は1950年12月6日、中共軍との戦いで重傷を負った。仲間が彼をほし草の俵に隠したが、その後行方不明となり、今回死亡事実が確認された。甥のダーリン・クーリー氏は、「父はいつも叔父を恋しがり、何が起こったのか知りたがった」と伝えた。レイメカ兵長は、故郷の母の隣に埋葬される予定だ。

一方、DPAAは、北朝鮮から受け取った箱から約35〜40人の戦死者の身元を確認したと発表した。ただ箱の中に、何人の遺体が入っているかはまだ知られていない。韓国戦争当時、米軍戦死者の遺骨送還は、昨年6月、ドナルド・トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長が、シンガポールでの1回目の首脳会談の際に合意した事案である。


チョ・ユラ記者 jyr0101@donga.com