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フリーダ・カーロの鹿

Posted August. 22, 2019 09:14,   

Updated August. 22, 2019 09:14

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痛みのない人生はないというが、画家のフリーダ・カーロほど苦痛と忍耐の人生を送った人は珍しいだろう。「私の絵には苦しみのメッセージが込められている」と話す彼女は、生涯、自身の痛みと苦しみを投影した自画像を多く描いた。

1907年、メキシコのコヨアカンの貧しい写真家の娘に生まれたカーロに人生の苦しみは早く訪れた。6歳の時、小児マヒで右足が不自由になり、18歳の時に遭ったバス事故は耐えがたいほど極度の肉体的苦痛を生涯与えた。ベッドの上での生活を余儀なくされ、苦痛と孤独を克服するために始めた絵は、彼女の人生の苦しみを記録する道具であり唯一の癒しだった。1929年、22歳のカーロは43歳の離婚経験のあるメキシコ画家の巨匠、ディエゴ・リベラと出会って結婚する。しかし、リベラがカーロの妹と浮気し、彼女に肉体的苦痛よりも大きな傷を与えた。

 

「傷ついた鹿」は、自身の苦痛と孤独を負傷した鹿に投影して描いた自画像だ。数本の矢を受けて血を流す子鹿が森の中をさ迷っている。背後には青い海が見えるが、悪天候でそこも安全ではない。古代アステカ文化で鹿は右足と関係がある。これは、過去に事故で完全に不自由になり、骨折した右足を象徴する。鹿の足をよく見ると、前足を上げて走ろうとするが、後ろ足は地面から離れない。この絵を描いた頃、カーロは健康が悪化し、ほとんど歩くことができない状態だった。カーロは47歳で死亡するが、その1年前に壊死のために右足を膝まで切断した。折れた木の枝は、彼女が自分の最悪の状況を受け入れているという意味のようだ。

鹿の体についたカーロの顔は、辛い表情ではなく、むしろ淡々としている。まるで苦痛は克服するものではなく、そのまま受け入れるものだと言っているかのようだ。生涯を苦痛と共に生きた彼女は死ぬ前、最後に日記にこう書いた。「この外出が幸せであるように、そして二度と戻らないように」。

美術評論家


李恩澤 nabi@donga.com