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ベトナムの日本軍「慰安所」、フランス軍の文書で初めて確認

ベトナムの日本軍「慰安所」、フランス軍の文書で初めて確認

Posted August. 13, 2019 10:32,   

Updated August. 13, 2019 10:32

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日本軍が1940年代にベトナムを侵略し、「慰安所」を運営したことを示すフランス軍の公式資料が初めて確認された。

国史編纂委員会(趙珖委員長)は12日、フランス国立海外文書館(ANOM)で日本軍がハイフォン、バクニン、ハノイなどベトナム北部の都市に慰安所を設置したとする事実を示すフランス軍の文書を確認したことを明らかにした。ベトナム地域の日本軍慰安所はこれまで口述などで部分的に伝えられていた。

今回確認されたフランス軍の1940年10月7~10日の報告書には、ベトナム北部の港町ハイフォンに進駐した日本の陸軍と海軍が、それぞれ慰安所を「ビエン湖畔」に設置するという内容が含まれていた。報告書は、将校、下士官、兵士に区分された3種類の慰安所を設置するものとし、設立資金はポールペル通りのある両替所で調達すると具体的に記されていた。これとは別に41年2月、身元不明の女性25人がハイフォン港に到着したと記録した日本軍関連のフランス軍報告書も確認された。

当時ベトナムはフランスの植民統治を受け、第2次世界大戦中、ナチス占領下のフランスのヴィシー政権が立てたフランス領インドシナ政府は、ドイツの同盟である日本と協力した。日本軍は40年9月、北部ベトナムに進駐し、41年には南部ベトナムまで占領した。日本軍のベトナム占領ルートは、ハイフォン港からバクニン、ハノイまで続いた。

慰安所が表記された地図2点も確認された。その一つのバクニンの日本軍基地の配置図には、慰安所が日本軍基地の境界線にあり、日本軍の統制と管理下にあったことを示す。ハノイ市内の日本軍配置図にも慰安所が日本軍の主要施設と共に市内に設置されていた。

今回確認された文書は、慰安所設置の実質的な主体が日本軍であったことを改めて裏づける。国史編纂委は、「日本軍は真珠湾攻撃で太平洋戦争を起こす1年3ヵ月前にベトナムを占領し、すぐに慰安所を設置した」とし、「日本軍が戦争当時、侵略した場所ごとに慰安所を設置して運営したことが改めて確認された」と明らかにした。国史編纂委の趙珖(チョ・グァン)委員長は、「日本が慰安婦と強制動員の責任および反省を回避している現実で、価値ある資料」と話した。

国史編纂委は2016年から日本軍「慰安婦」と戦争犯罪資料を収集、編纂している。今回の調査には、パリ第7大学のマリ・オランジュ教授と在仏史学者のイ・ジャンギュ氏が参加した。


趙鍾燁 jjj@donga.com