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韓国の花々には

Posted March. 02, 2019 07:36,   

Updated March. 02, 2019 07:36

한국어

すべての詩には所有者がある。その所有者は時代によっても変わるし、作品によっても変わるから、誰一人を所有者と特定することはできない。それでも、その多くは知識人や貴族だった。例えば、朝鮮において、詩というのは通常「漢詩」を意味するものだった。難しい漢字を読み漁って上手に使うために、長い時間、磨き重ねた人だけが使うことができた。

ところが、韓国語で私たちの心を表現し始めたことで、詩の所有者は次第に増えていった。日本植民地詩代に美しい韓国語でこっそり詩を書いた人たちがこれに当たる。詩を書く所有者が増えただけでなく、詩に込められる、詩を読む所有者たちも増えた。さらに詩の所有者はもっと多くなってこそ正しいし、この地に住むすべての人が詩に込められるべき所有者であるという主張もあった。1970年代の民衆の抒情詩の創作がそのような事例であり、金明秀(キム・ミョンス)詩人もこの時登場した。

詩人は、実際の私たちと、私たちの生活と、生活の基盤について詩を書いた。彼は詩を非常に多い所有者たちに返そうとした。この詩の所有者としては、韓国人、韓国、韓国の春、韓国の春に咲く花々までが全て含まれる。それだけだろうか。悲しい花の名前をつけながら暮らした先祖も詩の中に入っているし、胸の痛む花の名前を呼びながら春を待っていた心も詩の中に入っている。

花は、単に花だけではない。それは、私たちであり、歴史であり、希望である。悲しくみすぼらしく見えても、花が一斉に咲くから、初めて春が来る。3・1運動100周年を迎える今春に、もう一度覚えておくべき事実だ。


シン・ムギョン記者 yes@donga.com