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複合的思考力を持った李東寧

Posted January. 11, 2019 07:43,   

Updated January. 11, 2019 07:43

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今年で大韓民国の臨時政府が誕生してから100年になった。臨時政府の誕生と運営に多くの先烈の汗と犠牲があったが、その中でも李東寧(イ・ドンニョン)先生の功績が目立つ。1919年に3・1独立運動が起きると、先生は中国の上海に渡り、臨時議政院の初代議長を務め、臨時政府樹立の産婆役を果たした。そして、統合臨時政府の内務総長、首相、大統領代理、国務領、主席などを務めながら、20年以上にわたり、臨時政府を率いた。金九(キム・グ)も「白凡日誌」に「今日の吾人をいさせた裏には、李東寧の支援があって可能であった」と書いた。

先生の筆跡は一画で一文字を書く「連綿型」だ。これは、世間で起こる複雑な出来事を単純化して、物事の接続関係を理解できる「複合的思考力」があることを意味する。また、情緒が豊かで自信を持っており、乾いていないながらも人情と義理が深いことを示している。早くて比較的大きな文字を見れば、勇気があり、判断が早く、積極的であることが分かる。このような先生の洞察力とリーダーシップが、臨時政府の礎を作り、率いることに大きな力になったと思われる。先生は1910年、韓日併合以前から教育やメディアを通じた啓蒙運動の方式では、日本帝国の侵略を防ぐことができないと判断し、武装闘争に転換して戦争を行って独立しなければならないと主張した。先生が初代所長を務めた新興(シンフン)講習所では、抗日武装闘争の主役を養成した。

先生は良い行政家でもあった。文字を書き始める時、上部の余白がほとんどないのは、積極性を物語っている。横の間隔と文字との間の間隔がすべて広いことからは、新しい環境にうまく適応するが、用心深く思慮深いことが分かる。右に行くほど上がる筆画は前向きな思考を、長い横線と縦線は忍耐が強く、物事をうまく仕上げることを意味する。先生は老躯を率いて、金九と一緒に光復軍を創設する途中、持病で殉国する際、臨時政府傘下の三政党が統合して大同団結してほしいという遺言を残し、ついにその意思は実現された。

弁護士・筆跡研究家