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[コラム] モザイク写真が与える侘しさ

Posted February. 06, 2015 07:04,   

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5日午前、ソウル汝矣島(ヨウィド)の国会で開かれた与党セヌリ党の最高委員会議には、劉承 ミン(ユ・スンミン)院内代表など20人の議員が参加した。取材記者たちのノートブックも面積を取るが、新聞、放送、インターネットメディアのカメラだけでも50台はあり、会議場は大変な混雑となった。同じ時間に野党新政治民主連合の会議もあり、これでも分散した数だ。

空間に変わりはないが取材の人数が増えたため、国会での写真取材は簡単でない。そのうえ、国会の日程が増えており、国会担当のカメラマンの休む時間は減っている。

それでもカメラマンは国会担当をいとわない。いわゆる「肖像権ストレス」が少ないためだ。最近、カメラマンにとって最大の脅威の一つが肖像権だ。舞台上の芸能人を除いて政治家は肖像権を主張しない唯一の職業群だ。そのため政治家の写真は得やすい。撮る人にとっても紙面に載せる人にとってもそうだ。

中高年層だけでなく、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に多くの写真を載せる若者たちですら、ニュースに顔が出ることを好まない。見知らぬ誰かに写真を撮られることを敬遠する文化の特性でもあり、狭い国土で「顔が売れる」ことが人生に不利益を招くと考えるためかもしれない。

光学技術とインターネットの発達で写真取材と流通はますます容易になっており、プライバシーの保護の次元で肖像権が強調されることは当然の流れだ。しかし、韓国社会の肖像権は過度に厳しく非現実的だ。そのうえジャーナリストが守らなければならないガイドラインや社会的合意はどこにも存在しない。肖像権を侵害されたと判断した市民は、民事訴訟の前に言論仲裁委員会に救済を申請する。そこでは報道機関が負けるのが大半だ。問題は、仲裁委員会には写真や映像の現場を理解する専門家が一人もいないことだ。

このような状況で写真を毎日撮らなければならないカメラマンは悩ましい。米ケンタッキー大学のキム・ヨンス教授(ジャーナリズム学科)は、1990年代後半から2000年代初期にかけて経験した韓国のカメラマン生活と米国のメディア状況を比較して、韓国社会では肖像権が大変厳しいと話す。モザイク処理をして紙面に載せる慣行が米国では多くないということだ。

韓国写真記者協会は、昨年1年間のカメラマンの写真を総整理する報道写真展を準備している。しかし、セウォル号の遺族の悲しみが記録された写真がない。遺族が公開しないよう強く要求し、カメラマン自ら肖像権の保護に積極的に協力した結果だ。実際にセウォル号の悲しみを表現した写真はすべてモザイク処理されたり、はなから紙面に載せることもできなかった。

政治家と芸能人の顔だけが露出され記憶される現実はなぜか侘しい。庶民の喜怒哀楽が記録として残り、記憶される社会であることをカメラマンの一人として望む。

ビョン・ヨンウク写真部次長 cut@donga.com