「44歳の時、ルーゲーリック病患者となった。殺し屋を雇い、死のうかと思ったが、心を入れ替えた。病院で薬ばかり飲みながら過ごさず、大切な人たちと旅たつことを」
自分のルーゲーリック病(筋萎縮性側索硬化症)の闘病記を扱ったベストセラー「それでも私にできること(Until I Say Goodbye)」の著者・スーザン・スペンサーウェンデルが4日、米フロリダ州の自宅で死亡した。享年47歳。
米地元新聞・パームビーチポストの法曹記者であり、3人の子供の母親でもあったスペンサーウェンデルは09年夏、左手に違和感を感じた。さまざまな検査を繰り返した末、11年6月、ルーゲーリック病の診断を受けた。
他人の助力無しでは、指一本動かすことのできなかったが、氏は絶望しなかった。新婚の思い出を満喫しようと、夫とハンガリーのブダペスト、オーロラを見るため、親友とカナダのユーコンに出向いた。長女のマリーナが将来、結婚式の時に着るウェディングドレスを見ようと、ニューヨークの有名なウェディングショップも訪れた。里子だった彼女は、産みの母親を探すため、カリフォルニアへの旅にも踏み切った。
パームビーチポストに掲載されたスペンサーウェンデルの感動的旅行記は、米大手出版社・ハーパーコリンズの目に留まった。13年3月、彼女は230万ドル(約23億ウォン)の版権契約を交わし、「それでも私にできること」を書き記した。
徐々に全身の筋肉が硬くなりつつあったスペンサーウェンデルは、唯一、動く右手の親指を使って、文を書き記し、この指さえも使えなくなると、鼻を使って作文を続けた。氏は、最後の瞬間まで、「私は、指を使わなければならないギターリストでなくて、本当によかった。最後が迫ってきているが、絶望はしない」と、生への意志を燃やし、多くの人たちの胸を打った。