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「珍島に双渓寺があってよかった」

Posted May. 27, 2014 09:11,   

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全羅南道珍島郡(チョンラナムド・チンドグン)の尖察山(チョムチャルサン)のふもとにある曹渓宗(チョゲチョン)の寺院、双渓寺(サンゲサ)。新羅の文聖王(ムンソンワン)の時代、857年に建築された珍島で最も古い寺だ。静まった夜になると、この由緒ある古寺にやって来る人がいる。彭木港(ペンモクハン)や室内体育館で1日中、セウォル号の行方不明者家族のためにボランティア活動をし、疲れた体を休めに来る僧侶やボランティアの人々だ。

セウォル号が沈没した先月16日以降、双渓寺の日常は変わった。入口には「セウォル号沈没事故の犠牲者よ、苦海を脱して安らかにお眠り下さい」と書かれた白い垂れ幕がかけられていた。大雄殿の片隅に設けられた霊壇には、犠牲者の位牌の代わりに垂れ幕がある。毎月平均40〜50人が参加していたテンプルステイは中止になった。住職と事務長1人だけの小さな寺で、セウォル号犠牲者のためにできることは多くなかった。行方不明者の家族とボランティアの人々のために、テンプルステイ用の個室5部屋と団体用2部屋を常に空けておくことだけだった。

事故の初期には、毎日寺を訪れる行方不明者の家族が1日に2、3人いた。待つことに疲れた家族は、辛い心をなだめるために体育館から車で15分の距離にある双渓寺に来た。24日、ここで会ったある僧侶は、「行方不明者の家族は主に昼に来て静かに祈祷だけして帰り、夜はボランティアの人々がやって来る」と話した。今も全国から訪れた僧侶やボランティア20、30人が夜に双渓寺で休みを取る。

事故4、5日目から寺を毎日訪れたある男性は、行方不明の妻を待って10日間ほど双渓寺にいた。還暦旅行中だったその男性は、妻を置いて一人だけ生きている罪悪感から酒を飲まなければ眠ることができなかった。寺に来る時は必ずマッコリを買ってきた。1本空けてから、寺の空き部屋で眠りについた。事故後、現場を守っている檀園(ダンウォン)高校のキム校長も、しばらく安山(アンサン)に行く時を除いてほぼ毎日双渓寺に泊まった。

行方不明者数が16人に減り、双渓寺を訪れる家族も減少した。ソン・ボ事務長(58)は、「いつも来ていた人がいつか見えなくなり、『家族を見つけたようだ』と思いほっとする。残された家族も早く家族を見つけて珍島を離れることができればいい」と話した。