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「夢にでもいいから会えたら」 天安艦4周忌、止まらない母親の涙

「夢にでもいいから会えたら」 天安艦4周忌、止まらない母親の涙

Posted March. 27, 2014 03:03,   

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「ヨンビン…」

故シム・ヨンビン中佐の母親、キム・スンジャさん(56)は、息子の墓を見るやいなや泣き崩れた。涙をふいたハンカチで息子の写真をふき、手には碑石に彫られた息子の名前をなでた。しばらく泣いていた母親は、「どうしてこんなことが…まだ(息子の死が)信じられない」と語った。

哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没4周忌追悼式を迎え、26日に国立大田(テジョン)顕忠院を訪れた46勇士の遺族は、息子や夫の墓の前で涙を流した。あちこちで泣き声が聞こえた。故チョン・ジョンユル上士の父親、チョン・ヘギュンさん(67)は、息子の墓碑の前に座って話しかけた。「ジョンユル、こうして見ていても…。話もできず、頭がおかしくなりそうだ」。すすり泣く声が次第に大きくなった。「夢にも1度も出てこない、声が聞きたいのに…」。

当時、沈んでいく天安艦の艦首に最後まで残って乗組員を救助したチェ・ウォンイル天安艦艦長(47)も墓地を訪れた。遺族の手を一人ひとり握って言葉をかけたチェ艦長は、「時間が経ち、(天安艦が)国民の記憶から忘れられていくようだ」と残念がった。故イ・ヨンサン下士の父親のイ・インオク天安艦46勇士遺族協議会長(52)は、「沈没直後はチェ艦長を恨んだ。しかし時間が経ち、チェ艦長が子どもたちをどれほど大切に思っていたか分かった。有難い人だ」と話した。

この日、命日を迎え、家族は墓碑の前をきれいに掃除し、準備したお供えをした。故イ・サンミン下士の墓の前には、ブドウやウリ、トマトなどの果物とエッグタルト、ブラウニーやチーズケーキが置かれた。イ下士の父親、イ・ビョンギルさん(66)は、「すべてサンミンが好きだったものだ」と話した。故ムン・ギュソク元士と故キム・ジョンホン上士の墓碑の前には焼酎が1本置かれた。

歳月の流れは、大きくなった子どもたちからも感じられた。沈没当時、生後1ヵ月の赤ん坊だった故チェ・ジョンファン上士の娘、ウィヨンちゃんは4才になった。「お菓子を買って」とねだっていたウィヨンちゃんは、母親がうつむいて涙を流すと、両手で母親の顔を上げようとした。13才で喪主となった故イ・チャンギ准尉の息子、イ・サン君(17)は、高校の制服を着ていた。イ・サン君は「お父さんにあいさつする」と立派に言った。

天安艦の乗組員を救おうとして死亡したハン・ジュホ准尉の家族も顕忠院を訪れた。慶尚南道昌原市(キョンサンナムド・チャンウォンシ)の安骨浦(アンゴルポ)小学校で教師をしているハン准尉の息子のサンギさん(30)は、「小学校6年生の道徳の教科書に父親の話が載っている。3月になると子どもたちに父親の話で教育する」と話した。ハン准尉の妻のキム・マルスンさん(59)も「覚えてくださってありがとう」と感謝した。

今回の4周忌追悼式に、与野党執行部や朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長、金滉植(キム・ファンシク)前首相など多くの政治家が出席したことに対して、一部の遺族は、「昨年大統領が出席した時より多くの政治家が来た。選挙が近いので顔を出しに来たのではないか」といぶかしがった。