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男子ショートトラックも踊らせよう

Posted February. 25, 2014 04:42,   

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夏季五輪のアーチェリーと冬季五輪のショートトラックの選手らに、太極(テグク)マークは、限りない栄光であると同時に、大きな重荷となっている。

よくふたつの種目では、オリンピックでメダルを獲得することより、国家代表になることのほうがより難しいといわれる。銀メダルを獲得しても、「申し訳ない」と頭を下げる。外国人の目には、奇妙に映って当然のシーンだ。彼らが感じる金メダル強迫症は、普通の人たちが考えているレベルをはるかに超えている。

24日に閉幕したソチ冬季五輪で、男子ショートトラックの選手らは、金メダルを獲得できなかった。金メダルどころか、銅メダル一つすら、首にかけることができなかった。選手らの苦しみを容易に推し量ることができる。

大会前から、彼らは歓迎されなかった。ロシアに帰化した安賢洙(アン・ヒョンス、ロシア名はビクトル・アン、29)の影に隠れてしまった。安賢洙が、韓国氷上界の派閥闘争の犠牲の末に帰化したという誤解が広まり、その矢面が罪のない韓国選手らに向かった。ラクダが針の穴を通ることより難しいといわれている代表選考選を通ったが、選手らは、これまで最も国民からの声援を受けられなかった国家代表だった。

大会期間中、安賢洙が金メダルを首にかけて勝ち続けると、彼らの傷口はさらに深まった。必ず、金メダルを獲得しなければならないと思いつめ、あせり、そのあせりは無理なプレーを招いた。失格やミスが相次いだ。見るに見かねた安賢洙が、「後輩選手にはなんの罪もない。皆、一所懸命がんばってきた選手たちだ。自分の成績と韓国選手団の成績とを比較されるのは、私も大変つらい」と話した。

安賢洙が公式の記者会見で明らかにした帰化の理由は、トレーニングのできる環境だった。08年、膝の怪我後、安賢洙に最も必要なことは、立ち直りを待つ連盟側の忍耐だった。韓国は待てなかったが、ロシアは待った。その結果、安賢洙は金メダル3個と銅メダル1個を獲得し、ロシアの総合トップに貢献した。

韓国ショートトラックが、「世界最強」だった時代は過ぎ去った。多くの韓国人の指導者が外国に進出し、韓国だけのノウハウは、すでになくなってから久しい。体力や体格のよい外国選手らは、韓国指導者らを通じて、韓国だけがもっていた強みを、スポンジのように吸収している。

安賢洙の場合のように今の韓国選手達に必要なことも、待つことだ。隣で見守ってきた男子ショートトラック選手らは、本当に涙ぐましいほど一所懸命努力した。認めてもらえる人がいなくても、自分たちで一丸となって、汗を流した。

選手らへの批判は、「第2の安賢洙」を産みかねない。彼らにも、再び立ち直れる時間が必要だ。また、これまでの努力については、暖かい激励をうけなければならない。

25日、選手らは、選手団本陣と一緒に入国する。メダリストらの後ろに隠れているはずの彼らに、最も必要なことは、暖かい拍手だ。uni@donga.com