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2人の枢機卿には甕を売って司祭の道に導いた母親がいた

2人の枢機卿には甕を売って司祭の道に導いた母親がいた

Posted January. 15, 2014 03:43,   

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「甕(かめ)と殉教者の家、母親、兄弟が神父、謙そんと所信…」

韓国人初の枢機卿になった故金壽煥(キム・スファン)枢機卿(1922〜2009)と12日に韓国の3人目の枢機卿に任命された廉洙政(ヨム・スジョン)枢機卿(71)の信仰と人生から共通して発見される里程標だ。

金枢機卿は1969年、47歳の時、韓国初の枢機卿に任命された。当時、世界136人の枢機卿の中で最年少だった。馬山(マサン)教区長を経てソウル教区長になってわずか1年しか経っていない時であり、ソウルの派閥に苦しんだという話もある。一方、ソウル大教区で司祭になった廉枢機卿はずっとソウル大教区で活動し、2002年に59歳で主教になった。教区長になったのは2012年69歳の時で、比較的遅い方だ。このような相違点は、時代の状況が大きく作用したためだ。当時法王庁は、金枢機卿の能力だけでなく「若さ」が躍動的な韓国社会に必要だと判断したというのが宗教界の大方の意見だ。

いくつかの里程標の中で特に目につくのは母親だった。金枢機卿の母親のソ・チュンハ氏(1955年死去)は、生涯、甕や麻・木綿を頭に載せて売り歩き、2人の息子を聖職者に育てた。金枢機卿の母親は、枢機卿と3歳上の兄(キム・ドンハン神父・1983年死去)に神父になるように言った。後に金枢機卿は、「商売をして25歳ぐらいで結婚すると考えていたが、青天の霹靂だった」と振り返った。

廉枢機卿の母親のペク・ウムウォル氏(1995年死去)は、妊娠中から息子なら司祭、娘なら修道女になってほしいと祈り、3人の息子を神父の道に導いた。両枢機卿は、カトリック殉教者の家で育ち、甕を焼いて売り、迫害を避けて信仰を守ってきたという点も似ていた。

両枢機卿は1992年から7年間、ソウル大教区で教区長と教区事務局長として近くで過ごした。金枢機卿が76歳で教区長職から退く時、廉枢機卿も教区本堂の神父になるほど格別の間柄だった。後に廉枢機卿が主教になった時、金枢機卿は次ぎのような人物評価で賛辞を送った。「廉主教、明るい人柄が物語るように忍耐と謙そんの徳を備えていらっしゃる」

廉枢機卿が、2010年に金枢機卿の1周忌を迎えて教区で再スタートした甕奨学会の初代理事長を務めたのも、両枢機卿の縁を感じさせる。

両枢機卿はいずれも包容力があり、信仰的所信を貫いた。

金枢機卿は生涯、弱者の側に立ち、民主化運動の大きな垣根になったが、2000年代以降、宗教が過度に政治色を帯びることに対しては慎重な態度を見せた。

廉枢機卿は昨年、正義具現司祭団の政権退陣ミサをめぐる論議が起こった時、「政治は一般信者の役割」とし、「司祭の直接的な政治介入に反対する」と線を引いた。

宗教界のある中堅神父は、「2人の枢機卿の最も似ている点は『意地または外柔内剛型の所信』だ。2人は謙そんと寛容を身につけているが、信仰に則った原則は譲歩しない」と話した。