「東京支店長出身が銀行の頭取になる時代は来ないかもしれないと思うと、なんだか気がめいる」
一時、国内の銀行圏を牛耳ってきた日本・東京支店長らの年末の忘年会の会である「東支(東京支店長)」会に出席した元金融界幹部が伝えた感想だ。東支会とは、1990年後半から2000年代初頭にかけて、東京支店長を務めた元・現職の銀行圏の役員らが2ヵ月に一度の割合で集まる会のことで、趙浚熙(チョ・ジュンヒ)企業銀行頭取、李伯淳(イ・ベクスン)元新韓(シンハン)銀行頭取、崔永煥(チェ・ヨンファン)元輸出入銀行副頭取らが主要メンバーとなっている。
彼らより少し遅れて、東京支店長を務めた金鎮𨛗(キム・ジングァン)元SC第一(チェイル)銀行副頭取、外換銀行・東京支店長出身の車淳𨛗(チャ・スングァン)エーアンドピーフィナンシャル首席副社長兼韓国IB金融代表、李信基(イ・シンギ)新韓銀行副頭取補、白國種(ベク・グクジョン)ウリィ銀行副頭取などは、趙浚熙企業銀行頭取と共に「二木(毎月第2週の木曜日)」会を立ち上げ、会を開いている。
二つの会の参会者らは、東京や金融界の先輩後輩という縁を基に、固い絆を誇っている。車淳𨛗首席副社長は、東京支店長を終えて外換銀行に復帰したが、役員になれず退職すると、金鎮𨛗元副頭取の口利きでエーアンドピーフィナンシャルに就職したほどだ。金元副頭取が、日本勤務時代、国内最大手消費者金融、エーアンドピーフィナンシャル(商品名=ラッシュアンドキャッシュ)のチェ・ユン代表と築いた人脈が働いた。
東京支店長出身らの会が、活発で絆が強い理由は、かつて、東京支店長は銀行員最高の出世コースと言われたからだ。海外勤務そのものが珍しかった時代、先進国日本に勤務し、東京の政府機関や企業役員らとコネを作るチャンスを持つことは、大きなメリットだった。実際、東京支店長の任期を終えて帰国すれば、より良いポストが彼らを待っていた時も多かった。
東京支店長を終え、1年ぶりに持株会社の役員に昇進した李伯淳元新韓銀行頭取が代表的な例だ。支店長ではないが、李八成(イ・バルソン)ウリィ金融持株会長も、1970年代末から1980年代初頭にかけて、韓一(ハンイル)銀行・東京支店に勤務した経験がある。そのため、東支会や二木会の忘年会の雰囲気はいつもメンバーたちの昇進を祝うなど、和気藹々でにぎやかな時が多かった。
しかし8日、ソウル麻浦(マポ)の飲食店で開かれた東支会・忘年会の雰囲気は、かつてとは大きく違っていた。二木会の重要メンバーである金鎭𨛗元副頭取が10月末、東支会の重要メンバーである崔永煥元副頭取が7月に退職したのに続き、一番先に頭取になったが、後継構図を巡るいざこざで降ろされた李伯淳元頭取が、膨大な経費のかかる裁判過程の厳しさを訴え、空気はかつてのようではなかったという。
8日、東支会に出席した一人は「第一銀行が買収されなかったら、金鎮𨛗元副頭取も頭取になるチャンスがあったはずだし、新韓銀行を巡る事態で李伯淳元頭取が落とされることも予想できなかった」と話した。また、魚允大(オ・ユンデ)KB金融持株会長と会長ポストを巡り競い合った李哲徽(イ・チョルフィ)元韓国資産管理公社社長とも同じ時期に在日本韓国大使館で財経官として務めた縁で、親しく付き合ってきた」とし、「うちの会から、持株会社会長1人、頭取3人が出るチャンスを逃したことを思えば、残念でならない」と話した。
他の出席者は、「私たちの時代は、銀行内の最高人材が東京支店に派遣されたが、グローバル金融危機後、海外支店の存在感自体がかつてとは違う上、若手の人材らは米ニューヨークや英ロンドン支店の方をより好み、東京支店長出身の頭取が出るのは難しいような気がする」と残念がった。
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