李会昌(イ・フェチャン)元ハンナラ党総裁が離党して、大統領選挙に無所属で出馬すると公式に宣言した。法と規則を尊重する世の中、政党民主主義の発展、彼が強調した左派政権延長阻止のために、進むべきではない道に足を踏み入れたのだ。自らも理性的な判断では自己矛盾に満ちた選択であると知ってか、苦しい説明だった。
李元総裁は、政権交代という「大義」のために「悽絶で悲壮な心情」で出馬を決心したと明らかにした。政権交代が最大の大義だと本当に考えたなら、党と国民が選んだ候補を積極的に支持し、党内の混乱に対しても大義を忘れてはならないとなだめるべきだった。しかし李元総裁は、無所属で出馬することで、政権交代の可能性を下げてしまった。
政権交代をしても、国の基礎を建て直す(人物による)交代でこそ意味があると主張した。国民の過半数の支持を受ける政党が法にのっとった手続きで選んだ候補を否定し、党内選挙に服従しないことこそ、民主主義の基礎を揺さぶる行為だ。また李元総裁は、朴槿恵(パク・グンヘ)前代表と互いに考えが通じる日が必ず来ると言った。これが、大統領選挙での提携まで念頭に置いてのことなら、自分だけでなく朴前代表までも党内選挙不服従者にしようとするものだ。
李元総裁は5年前、2度目の大統領選挙の挑戦にも敗れただけでなく、ハンナラ党に「不法選挙資金党」の汚名を着せた。その後、ハンナラ党はテントの党本部に移って国民に許しをこい、「補修する保守」になるために改革し、美しい党内選挙ドラマまで成功させて、多くの国民から「唯一合法の政権交代勢力」と認められるようになった。そんなハンナラ党に対して李元総裁は、「だれが大統領になっても国は自然に正しくなるという考えは幻想だ」と叫んだ。李明博(イ・ミョンバク)候補の正統性を無力化しようとする発言であり、クーデター的発想に相違ない。
また、李明博候補の安保思想、北朝鮮観が不明確で、「救国の決断」をせざるをえなかったというのが、李元総裁の主張だ。民主労働党や大統合民主新党ではなく、守旧冷戦勢力や戦争勢力とまで言われるハンナラ党候補の安保思想と対北朝鮮観を疑うことは、「老欲」を隠すための言い訳にすぎない。李元総裁本人こそ、02年の大統領選挙の時、従来の北朝鮮に対する相互主義を「戦略的相互主義」に修正して人気に迎合したことを、多くの国民は覚えているだろう。
李元総裁は出馬宣言文の最後に、「もし私が選択した道が正しくなかったことが明らかになれば、いつでも国民の意思に従って、殺身成仁(命を捨てて忠義を守ること)の決断を下す」と述べた。最後まで支持率の推移を見守って、不利になればあきらめるという話のようだ。そうなったとしても、李元候補は、大統領選挙の終盤に保守の骨肉の争いを招いた過ちから逃れることはできないだろう。






