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アルバニアで欧州入り分ける総選挙終了 今後の焦点は欧米の評価

アルバニアで欧州入り分ける総選挙終了 今後の焦点は欧米の評価

Posted July. 06, 2005 00:38,   

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15世紀半ば、アルバニアの伝説的な英雄スカンデルベグが、オスマントルコの侵入を防いで民族統合を果たした時期を除いて、絶え間ない外勢の侵略と支配のもとで苦しんできたアルバニア。今も欧州で最も貧しく人口約350万人の小さな国だ。

3日に実施されたアルバニアの総選挙は、「欧州の一員」になるかどうかを決定する選挙だった。これまでの選挙過程は、中世時代から有名な「血の復讐」の伝統を持つアルバニア人らしく、暴力と不正選挙論議で染まっていた。選挙当日の首都ティラナ市内は、ひとまず平穏に見えた。

街頭には総選挙立候補者のポスターが幾列も貼り付けてあり、通りのカフェでは政治討論に熱がこもりうるさかったが、平素のアルバニアの街の風景と特別変わらないと、「ベン」と呼ばれるホテル職員が説明した。数日前まで大規模な遊説で騒がしかった市内中心のスカンデルベク広場も、うろつく失業者や乞食だけが目につくだけで、閑散とした姿だった。

「事故」がないわけではない。選挙管理委員会の職員1人が銃弾を被弾して死亡し、選挙が終わった後、野党の勝利を祝う集会ではさらに1人が死亡した。欧州安保協力機構(OSCE)選挙監視団責任者のモートン氏は、「この10年間、アルバニアの選挙を見守ってきたが、私たちが願う結果は見られなかった」とし、「今回の選挙も、民主選挙の国際基準を部分的に満たしただけだ」と首を横に振った。

選挙の核心は、政権のゆくえではなかった。焦眉の関心は、米国と欧州諸国がアルバニア総選の結果をどう評価するかということにある。

公正で民主的な選挙を通じて正当性のある政府が誕生したという米国と欧州の「承認」があれば、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟できるためだ。共産政権の崩壊から約10年が経ったが、アルバニアは他の東欧圏諸国と違って体制転換が最も遅い国に数えられる。激しい内戦を経験した近隣の旧ユーゴ連邦の国々よりも遅い。数十年にわたる共産独裁の結果、貧しさは慢性化した。

非公式的な統計では失業率が30%を上回るうえ、国家の最も基本的な責務といえる国境統制さえも国際機関の支援を受けなければならない状況であるため、「主権国家」と呼ぶこともはばかれる。今もアルバニアの人たちの「海外脱出」は続いている。組織的な不法移住斡旋会社が栄え、人身売買組職さえ大手を振っていると、国際移住機関(IOM)の関係者たちは説明した。

「EUに加盟することだけが生きる道だ」と必死だが、最近EU諸国の欧州憲法への拒否や、トルコに対するEUの拒否を見て、国民の間ではアルバニアの悲しい旅程は、今後も相当期間続くしかないという悲観論が広がっている。



klimt@donga.com