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その講義室はいつも満員

Posted May. 28, 2005 03:14,   

한국어

#シーン1

「社長が悪いです。事業を拡張してお金を使い果たしてしまった社長はアウト(OUT)!」

ソウル大経営学科4年生の専攻授業。ハシム・アルパド・ハイル(22・サウジアラビア)さんが外国人労動者の演技をして人気を得たコメディアンの真似をすると、講義室には爆笑が渦巻いた。彼が表現している状況は、数年前、やたらに事業を拡張し経営難に陷ったあるフランスのメディアグループの頻繁な経営陣入れ替え状況。寸劇が終わると、学生たちは「核心力量事業に集中しよう」、「金になる核心事業は売り、未来指向的な事業に切り替えよう」と舌戦を交わした。

#シーン2

「先生、音波は本当にこのようにムカデのようなんですか」

自然大物理学部1年生の専攻講義室。幅50cm、長さ1.5mの魚の骨のようにできた音波軌跡機が、学生たちにはとても不思議なようだ。電源をつけると、両方に付いている棒が波のように動きながら音波の移動軌跡を表現する。これを見た学生たちは、「音波が壁に反射すれば震動幅が大きくなる。だから騒がしい部屋で、壁の前に立てばもっとうるさく感じられるんですか」等の質問攻勢をした。教授が、「ところで、これは私が作ったんだ」と言うと、しばらく沈黙が流れる。そして「わ!」という歎声が上がった。

#シーン3

「皆さん、異性と付き合う夢を見たことがありますね」。突然の質問に学生たちがざわめき始める。「ところが、男性は初めて見る女性を複数、女性はよく知っている人一人を見る場合が多かったはずです。これがまさに男女の心理差です」。

社会大心理学の講義室。学生たちは雑談をしていても、教授が口を開ければすぐに目と耳を集中する。

最近、ソウル大で「五感体験プログラム」講座が人気を集めている。この講座を主導しているトロイカは、宋在鎔(ソン・ジェヨン、41)経営大、劉載俊(ユ・ジェジュン、38)物理学科、崔仁哲(チェ・インチョル、43)心理学科教授。米国の有名大で講義していて、最近迎え入れられた彼ら若い教授が講義する授業の共通点は、学生たちが直接楽しんで、感じながら参加できるようにするという点。

劉教授は授業に必要な実験実習機を直接考案し製作する。劉教授は、「波動や音波など目に見えない物理学の原理を説明し理解するのは易しくない。『五感学習』のため、あれこれ目に見える品物を利用して小道具を作るので、週末も休めない」と言った。

「比喩の化身」というニックネームで他の大学でも有名な崔教授は、「興味誘発は動機付与で止むだけだ。重要なのは、私たちが学んだことがどれぐらい実生活と密接な関係を持っているのか、自ら悟るように手伝ってあげること」と言った。

これらの講座は学校内外の各種大学生世論調査で、「一番聞きたい授業」に何回も紹介された。講義室を埋め尽くした学生の約15%は聴講生だ。

受講申請をするためには、受付日の前日の夜からオンライン受付のためコンピューターの前で夜を明かさなければならないのは基本。受付開始3分足らずで定員が満たされてしまう。受講申請締め切り後には、教授を直接尋ねて「懇願」する学生も多い。

(29)文化財包装名人、金ホンシク研究官

金研究官は32年間の博物館生活を終え、6月30日に停年退職する。現在は「休暇中」だ。

しかし、26日にソウル徳寿宮(トクスグン)で会った金研究官は相変らず文化財を包装していた。8月15日景福宮(キョンボクグン)に席を移して、国立古宮博物館に新しく開館する徳寿宮・宮廷遺物展示館の遺物包装を手伝っているのだ。今月初めには全羅北道全州(チョンラプクド・チョンジュ)へ行って、国立全州博物館・特別展に出品される朝鮮(チョンソン)時代の太祖李成桂(テジョ、イ・ソンゲ)の御真(王様の肖像画)を包装したりした。

最近、金研究官が力を傾けたのは、やはりソウル龍山(ヨンサン)の新しい国立中央博物館(10月28日開館予定)に遺物を包装して移したことだ。なかでも国宝126号の釈迦塔出土の舍利函(8世紀半ば)包装が一番難しかったという。舍利函の角にかかっている小さな瓔珞(飾り物)のためだった。

「あまりにも古い瓔珞で風が少し吹いても落ちます。それを固定させることは簡単ではありません。何回も包装してみましたが、それでも心配でした。方法を捜すため1週間、毎日午前7時に出勤して2時間ずつ遺物を観察しました。悩んだ末に薄い中性紙を巻いて飾り物の横に柱を建てて飾り物と柱をまた紙で固定させました。その作業だけで2日間がかかりましたね」

金研究官が博物館に入ったのは1973年。大学を中退して、事業に失敗した後、中央博物館の遺物科に臨時雇用職で就職した。

「最初は掃除ばかりしたんです。文化財が分からないと何度も叱られました。しかし、一生懸命に文化財を勉強して3年ほど経ってから、いよいよ遺物を触っても良いという許諾を得ました」

このようにして文化財の人生が始まった。1978年に試験を受けて学芸職になった。1979年、米国のワシントンやニューヨークなどで開かれた『韓国美術5000年展』出品文化財を扱いながら本格的に包装に跳びこんだ。

「その時、米国に文化財包装専門家がいるということを初めて知ったんです。びっくりしました。一度挑戦してみなきゃという気がしました」

1979年には金冠包装に1週間がかかったが、今は30分でいいほど包装の達人になった。

「最初は金冠の後ろの連結部位を解いて平面に広げておいて包装しました。しかし、今はぴったりのフレームを作ってそこに挟んで包装すれば済みます。普通の人が金冠を持ち上げるなら、多くの飾り物が搖れて金版がだぶつくでしょうが、私は片手でも飾り物一つ動かさず持ち上げることができます。長い間遺物を触ってみてノウハウがわかってきたのです」

金研究官の遺物包装の実力は世界的な水準だ。1998年、米国のメトロポリタン博物館の韓国室開館・特別展出品のために国宝、宝物級の文化財300点余りを包装したときだった。当時、メトロポリタン博物館のある職員がソウルで金研究官の遺物包装を見守った後、メトロポリタン博物館に来て働くことを提案した。この話を聞いた鄭良謨(チョン・ヤンモ)中央博物館館長(当時)が「NO」ときっぱり断った。世界的な文化財包装専門家を逃すことができないということだった。博物館は2002年、金研究官が停年を迎えたとき、学芸研究官に特別昇進させて停年を3年延長させた。

金研究官が言う文化財包装の魅力は簡単だ。「家を離れた遺物が無事に帰ってくる姿を眺めること」が包装の醍醐味と言う。

これまで一番困難だったのは文化財包装に対する認識不足だった。金研究官は「韓国の文化財包装の実力はもう世界最高級なのに、博物館内外にまだ専門家と認めない傾向がある」と残念がった。それで金研究官はより一層、後輩たちを育てようとする。現在、数十人の若者たちが金研究官から遺物包装を学んでいる。

金研究官は7月、ソウル鍾路区堅志洞(チョンログ・キョンジドン)にある曹渓宗(チョゲジョン)仏教中央博物館に席を移す。業務はやっぱり文化財の包装だ。



金栽瑩 jaykim@donga.com