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[社説]「公教育の希望」を見せてくれた慶山の舞鶴高校

[社説]「公教育の希望」を見せてくれた慶山の舞鶴高校

Posted April. 06, 2005 23:16,   

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大邱(テグ)市から車で1時間ほど走らなければならない慶尚北道慶山市河陽邑(キョンサンプクド・キョンサンシ・ハヤンウプ)の舞鶴(ムハク)高校が、卒業生280人全員を4年制大学に入学させたという話を吟味せざる得ない。大都市ならありふれる塾が周辺にあるわけでもなく、中学校の内申成績は中間程度の「普通の生徒」たちだけを受け入れて教えたが、いわゆる名門大学3、4ヶ所だけにも20人近く進学したと言う。

大学進学率が80%にのぼる時代に単に進学率100%にさえ注目したら「舞鶴高校の奇蹟」の本質を逃す恐れがある。クォン・オソン校長は「大学進学率がどうしてそんなに重要なのか」と聞き返した。「生徒たちが勉強に意味と楽しみを感じて、その結果希望する大学に進学したということがもっと重要だ」という話は当たり前だが、感動的だ。

この学校の生徒たちが楽しく勉強するようになった秘訣は、何より教師の熱情にあった。これは教育界が重く、または恥ずかしく受け止めるべき部分だ。舞鶴高校の教師たちは「まともな教育を受けてこそ、自分の夢を繰り広げることができる」と生徒たちに動機を与えた。そして給料をもっと受け取るわけでもないのに水準別の移動授業、選択型の補充授業など「オーダーメード教育」に努めた。

舞鶴高校の教育が希望として感じられる理由がここにある。教育当局者たちが大学入学試験制度に数十年取り組んでも解決できなかった「公教育の不在」の問題を、田舍の学校が解決したのだ。「もっとたくさん教えようとする」教師たちが、生徒と学校をどう変化させることができるかをありありと見せてくれた。

今、教育の需要者である生徒と学父兄たちは疲れ切っている。いかなる評価も受けない学校の教師たちの教科指導は、私教育に立ち後れて久しいし、運動場の隅は暴力の温床に、学校の食堂は食中毒を心配しなければならない非衛生的な給食所に転落しそうだ。

それでも、公教育をあきらめることはできない。外国人が見る韓国の投資魅力の中で第一が人的資源だ。人才育成は学校だけができる。今こそ教師たちが変わる順番だ。教権守護という名分のもとで、縄張り争いにだけエネルギーを消耗する教師たちだけではいけない。教育界の元老たちが自ら責めることだけでもいけない。教師たちが自ら反省して改革すれば、公教育をまた立て直すことができる。