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[オピニオン]神渓寺

Posted November. 22, 2004 23:29,   

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2週間前、2泊3日の日程で金鋼山(クムガンサン)に行ってきた。初日、バスに乗って玉流洞(オクリュウドン)に入っていく途中、右側の松林向こうに復元工事が盛んに行われている神渓寺(シンゲサ)が見えた。高く伸びた美人松が、寺跡を簾のように覆い、まだ丹青を施していない大雄殿の軒が、素肌を現わしたまま空に向かって聳えている。忙しげに働く作業員の姿も見えた。南北が一緒にお寺を作っているという事実に、今更ながら胸が熱くなった。

◆神渓寺は金鋼山四大寺の一つで、韓国戦争によって焼失される前は11の殿閣を有する、大きな寺だった。統一新羅時代の法興(ボップン)王6年(519年)に普雲(ボウン)祖師が創建した。元々の名前は「新羅」の「新」の字を取って新渓寺と呼んだが、すなわち「神さまの神」の字の神渓寺に変わった。毎年、寺跡の渓谷に沿って鮭が上って来れば、人々が群がって来て鮭を捕ったが、殺生を禁止する仏教徒としてこれを見てばかりいるわけには行かず、普雲祖師が神通力で鮭の群れが上って来ることができないようにして「神」の字に変わったというのだ。

◆神渓寺大雄殿の落成式が20日に行われた。韓国側の曹渓宗(チョゲジョン)と北朝鮮側の朝鮮仏教徒連盟、現代牙山(ヒョンデ・アサン)の関係者など400人余りの出席者は、神渓寺の復元が民族和合と統一の礎になるように祈った。南北双方は2007年までに、冥府殿(ミョンブジョン)を含む11の殿閣をすべて修復する計画だ。曹渓宗の宗正である法伝(ボプジョン)和尚は「(神渓寺)大雄殿に紫色の光が発して、白頭(ペクドゥ)から漢拏(ハンラ)まで照らし、東西に伸びて天下を覆う。暗い人には南北があるが、よく見える人には上下すらない」と言う落成式の記念法語を語った。

◆法語は意味深長。「暗い人に南北がある」と言うところが特にそうだ。未だ極端な冷戦思考に閉じこめられている人には、南北の和解と協力の未来が見えないという話のように聞こえたりもする。1980年代、南北仏教交流のために北朝鮮に入った韓国側の僧侶を、北朝鮮側の関係者たちは「お坊さま」と呼んだものの、このごろは「和尚」と呼ぶ。北朝鮮のお寺へ行けば、袈裟を着て参拜する北朝鮮側の僧侶の姿もたまに見られると言う。鈍く感じられるかも知れないが、変化はこのようにして来るのかもしれない。

李載昊(イ・ジェホ)論説委員leejaeho@donga.com